水辺のトンボ、それも清流にしか棲まないはずのハグロトンボを、なぜか水気のない砂丘の防砂林で見つけました。以前、鶴岡市の内川という、城跡をめぐって流れる川のほとりで発見され、保護しようという声があがったという記事を新聞の地方版で読んだのですが。
初めてハグロトンボを見たのは、ぼくの田舎です。田舎は福島県で、常磐線の長塚駅で汽車を降りました。長塚駅は後に双葉駅に改名されました。
駅の近くに叔父の家があり、そこには必ず寄るように親から言い渡されていました。
祖父母の家は、踏切をわたって西に向かい、山地に入った開拓地でした。祖父母はミンダナオ島から命からがら引き上げてきて、払い下げを受けた山林を切り拓いて住んでいたのです。60年代半ばまでランプ生活でした。そこに行くには、当時高校生だった叔父が自転車で迎えに来るか、バスを使うしか方法がなかったのですが、ある時歩いて行ってみようと思ったのです。
踏切を渡ると、田んぼの中の舗装していないバス道路がまっすぐに続いています。阿武隈山地に向かって少しずつ登っていく道で、透明な水の流れる用水路がありました。道端の草を蹴って歩くと、次々にカエルが飛び込みます。水面にはミズスマシやアメンボが浮かび、トンボが水を切るように飛んでいました。時々、翅の黒い昆虫がヒラヒラと飛んでいます。蝶にしてはスマートですが、トンボにしては翅の動かし方がゆっくりです。見慣れたトンボよりも小さな目がキラリと光ります。これがハグロトンボでした。
この時、途中で迎えの自転車に会ったのか、歩き通したのだったか、記憶が途中で途切れています。道に迷って出会った老婆に尋ねても、相手に完全に無視されたのは、これより後の高校生のころ。滞在中に自転車に乗れるようになり、バスに間に合うように必死で走って田んぼに転げ落ちかけたのは、中学生のころ。どうも記憶がごっちゃになっているのですが、田んぼに沿った堰とハグロトンボの記憶はいつも鮮明によみがえります。
ぼくの生家は、逆に駅から東、海に向かって、海岸の砂丘の松林のすぐそばでした。こちらには当時、父の従兄弟にあたる人が住んでいました。
ここで育ったわけではないので、故郷という意識はないものの、今、立ち入ることができなくなり、荒れ果てた「死の土地」になってしまった双葉町の思い出です。