アオバズク
昨夜、バンドの練習の帰り、酒田に来て初めてのアオバズクの声を聞きました。練習は市民ホール(希望ホール)の練習室を借りていて、午後9時ごろ、駐車場に行きました。おや、もうコオロギが鳴いていると思ったのは、アマガエルの声を聞き間違えたのです。でも、別の声が聞こえてきました。はじめ、遠くで犬が吠えているのだと思いました。でもよく聞くと、規則的に二声ずつ鳴くのです。「ホッホ、ホッホ」というふうに。アオバズクです。 声のする方向に、観光名所の山居倉庫があります。現役の米蔵で、巨大なケヤキに囲まれています。きっとそのケヤキで鳴いているのでしょう。巣があるのかもしれません。アオバズクのヒナを見たいものだと思いました。 20代のころ、三浦の乗馬クラブに居候して、馬場での活動(初心者やビジターの客の引き馬をしたり、飼い葉をやったり、馬房の掃除をしたり、合間に許可を得て乗馬の練習をしたり。)を終えて、師匠の車に乗って師匠のアパートに帰るころ、アオバズクが鳴き始めます。夏でした。馬場のまわりの垣根から強いイブキの香りがして、夕焼けの空を翼竜のようなシルエットがよぎっていく。それはねぐらに向かうゴイサギで、「ギャッ」という恐竜じみた叫び声を一声残していきます。そして、ホッホ、ホッホとアオバズク。 駆け出しの教員にとって、こんな素晴らしい体験ってあるだろうかと思いながら、師匠夫妻、グレートデーンとミニチュアシュナウツァーとチンという奇妙な犬の3人組と一緒にアパートの外階段を上がっていったものです。 当時、教員にとって夏休みは文字通りのお休みでした。「休養と研修」に充てることが奨励され、研修は今のように「場所や内容や目的」を記入した書類を提出したり、事後にレポートを提出する必要もありませんでした。「休養と研修」です。休養が先なのです。研修も、◯◯指導法などといったみみっちい内容ではなく、人間形成に役立つものであればよいとされていましたから、ぼくのような冒険は大いに許されるはずでした。部活の顧問をしないとこれだけ自由に行動できたのです。 夏休みが明けても、週末ごとに馬場に行き、しかも馬場は全共闘で退学になった元高校生やら、家出してきた九州の娘やらが転がり込んできて梁山泊というか、もう一つの「どうぶつ王国」というか、それはそれでおもしろかったのですが、馬場はオーナー会社の都合で1年半で閉鎖されてしまいました。馬も人も横浜の戸塚区に引っ越し、さらに埼玉県に引っ越していきました。ぼくは、職業として馬と関わることを選ぶべきか、そのまま公務員にとどまるのか悩み、結局生活の安定のために教員を続けたという次第。 アオバズクが鳴いています……。耳にほろ苦い声です。
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