言葉の玉手箱?
先日、テレビで同世代の人たちがしゃべっていた時、新宿育ちだという人のしゃべり方を懐かしく感じた。江戸弁とも言われる下町言葉ではなく、上品な山の手言葉でもない、「山の手の下町言葉」というか独特なくせのあるしゃべり方。話しかけるときの「あのね~え」(~はこの記号通りの抑揚を伴うのだ。女性っぽく聞こえるが、男も使う。)たとえばルー大柴のしゃべり方がそうかな。 横浜で暮らしてみると、ハマっ子は自分のしゃべり方は東京弁と同じだと信じているが、実際はかなり違う。たとえば「坂」は「サ」にアクセントをつけるのが横浜流だ。ぼくの最初のカルチャーショックは、女性が「やめときな」「そうしな」のような話し方をすることだった。東京なら(少なくとも70年代以前なら)「やめておきなさいよ。」「そうしなさいよ。」という女言葉を使うだろう。「ドラえもん」のしずかちゃんのしゃべり方だ。ところが横浜には、一人称以外では男女の言葉の違いはほとんどないらしかった。 いや、訂正がある。横浜や湘南地方では、しばしば男は語尾に「べ」をつけるのだ。「そうだべ」「予報、はずれたべ」など。有名な「じゃん」は男女とも使う。 だからマッチョなハマっ子(そして湘南ボーイ)は「おめえ、きのう約束やぶったべ、バカじゃん」などと言う。おもしろいべ。 ところがである、ある日、鎌倉をぶらぶら歩いていて、雪ノ下あたりの裏道で、年配の女性たちとすれ違った。彼女たちがしゃべっていたのはまぎれもなく「山の手言葉」、それも、おそらく東京では絶滅したか絶滅危惧の「上品な山の手言葉」だったのだ。それこそ小津映画に出てきそうな。(徹子の部屋の徹子さんが倍の時間をかけてしゃべれば上品な山の手言葉になるかな。徹子さん、昔は時代の最先端を走っていたのに。) 鎌倉は、かつて東京の別荘地帯だったと聞く。もしかしたら、戦争中疎開して、そのまま鎌倉に住み続けている人なのかもしれない。独身時代よく行ったイタリアンスナックの店を切り盛りしていた親娘が、鎌倉に住んでいると言っていたが、彼女たちも山の手言葉だったな。鎌倉では、湘南弁と山の手言葉が混在しているのかもしれない。
以前に書いたかもしれないが、酒田にアイターンすると酒田育ちの連れ合いがすぐに酒田弁に戻った。しかし、一緒にバンド活動している友人がつぶやいた。「あんたの奥さんの酒田弁、年寄りが喋っているみたいだノ、古臭く聞こえる」。つまり、酒田を離れている間に、酒田では方言が変化していたということなのだ。しゃべってびっくり、自分は方言の玉手箱だったというわけだ。 近ごろテレビやラジオで、アナウンサーや出演者の言葉に違和感を覚えることが多いのだが、22歳で東京を離れたぼくも、東京弁の玉手箱になってしまっているのかもしれない。きっと東京弁も変化していて(時代の変化、他の地方の言葉の流入など)、東京弁イコール標準語と信じて疑わない東京人が、マイクの前で普段の言葉をそのまま使っているのだろう。 一例をあげれば、東北では「食べる」を「食う」と言う。いや方言だからではなく、全国的に「食う」が正しかったのだ。しかし東京では「食う」は下品に聞こえるということで、謙譲語の「食べる」を使うようになったのだろう。(食べるは賜ぶ、つまりいただくという意味である。)東北では女性でも年配の人は「食う」を使う。 しかし、東京でも謙譲語由来の「食べる」は尊敬語には使わなかったはずなのだ。ところが、「られる」をつければあら不思議、即席の尊敬語になるという安易な敬語が広まり、尊敬語としての「食べられる」が市民権を得てしまったようなのだ。「この料理を食べられて、どんな感想を持たれましたか?」実際にNHKのアナウンサーが言った言葉である。「召しあがって、どんな感想をお持ちになりましたか」と言うのががそんなにおかしいだろうか? 「雨」も「アメ」の「メ」にアクセントをつけるアナウンサーが多いのには驚く。でも「雨が」では「メ」だけにアクセントがあり、「飴が」では「メガ」にアクセントがあるから、区別はつくわけか。 でもさ~あ、そんなことを気にするってのは、ぼくの母語が古臭い言葉の玉手箱になってしまっているからなのだろうな。あの鎌倉の老婦人たちのように。
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