先日、車で出かけたら、カラス(おそらくハシボソガラス)が口を開けて歩いていた。暑い時、カラスは口を開けるのだ。犬が舌を垂らすのと同じらしい。おかしいのは、翼があるのに「暑い、暑い」とぼやきながらよちよち歩いて、そのまま道路を渡っている。向こうからお婆さんが歩いてくるのだが、そのまま歩き続けている。まるで自分が人間ででもあるかのようだ。お婆さんがシッシッと言うように手を振った。カラスはチッ舌打ちするようによけながら、それでも歩き続けていく。いやあ、カラスも人間っぽくなったものだ。
猛暑はついに東北地方にもやってきていすわっている。特に日本海側はフェーン現象が加わり砂漠の暑さだ。砂漠と違うのは、夜になっても気温があまり下がらないこと。
犬は床で溶けかかっている。数分ごとに居場所を変えている。オオカミを祖先に持つ犬は暑さに弱いというのでクーラーを使うのだが、それでもこの顔。
ところで、先日テレビからこんな声が聞こえてきた。
「先ほどは涼しい顔で撃たれてましたけど……。」
これを聞いて、相手がだれかに撃たれたのかと思ったぼくは、時代錯誤でおかしな人間なのだろうか? 夕食の準備をしていて聞こえてきた言葉だから前後関係がわからなかったにしても、「撃たれた」が尊敬語だとは思いもよらなかった。オリンピックのクレー射撃に選手として出場した女性にインタビューしていたのだ。
文法の授業では、助動詞「れる・られる」には、受け身、尊敬、可能、自発の4つの意味があると説明する。自発とは、「この子の将来が思いやられる」のような、「そうしようとおもわないのに、自然とそうなる」というような意味である。かつて筑紫哲也が「ニュース23」のしめくくりでよく「今後、検討すべき課題であると思われます」などと言って批判されていたあれである。
国語の教師は、次の例文の「れる・られる」は、4つのうちのどの意味か?などという問題を作りたがる。ということは、まちがえやすいからであって、まちがえやすいということは、使うには気をつけなければならないとか、あまりおすすめできないということでもある。
庄内名物のだだちゃ豆はこれからが旬なのだが、「まだでしたら、ぜひ食べられてください」などと言うのは普通なのだろうか。さすがに受け身とは思わないが、「召し上がる」という言葉も知らないのかと、センスを疑われるにちがいない。
そもそも「させていただく」のように、不必要な敬語表現を過剰に使うのに、言われたほうはかえっていらいらするというのが、今の敬語ではないだろうか。
冒頭のインタビューも、「涼しい顔で」というくだけた表現をするのなら尊敬語は不必要だろう。「お撃ちになる」「射撃なさる」も変だし。
これもまた「とりあえず敬語」の弊害ではなかろうか。