早稲田大学春秋会だより 平成25年12月18日
早稲田大学春秋会新春の集い
時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は春秋会の活動にご協力いただき厚く御礼申し上げます。下記の通り新春の集いを開催致しますのでお知らせ致します。なお当日の講演には石濱裕美子教授を講師にお招きしてご講話を賜ります。皆様のご参加をお待ち申し上げます。
日時 : 平成26年2月2日(日)午前11時より 場所 : 大隈会館301・302号室 講演 : 石濱裕美子教授「チペット国の現況について」 会費 : 5,000円
また、新春の集いに先立ち、当日の午前IO時OO分より「紺碧の空」歌碑に献花を行います。 ご都合のつく方は大隈会館前「紺碧の空」歌碑前にお集まり下さい。なお、出欠については同封の返信ハガキにて平成26年1月28日(火)までに返信の程お願いいたします。 お問い合わせは早稲田大学春秋会事務局まで TEL 045-242-3521 FAX 045-241-8768
~第113回秋季大会の報告~
講演 川口雅昭先生 「いま吉田松陰に学ぶ」要旨(25-9-14)
まず南丘喜八郎氏より、川口雅昭先生は吉田松陰を42年間研究した方であり、「下田渡海」は密航が目的ではなく、ペリー刺殺が目的だったが他に累を及ぼすことを避けるため後に密航留学と釈明したものとのご見解である旨の紹介あり。 7年前日文研の笠谷和比古先生との話で、「思想家エリートの生き方」を話題にしたが、吉田松陰の言として、侍のやるぺきことは、①武義を考え②武器を手入れし③武芸を習う、これが大事と言われた。「他人の悪口を言うな」とも言われた。 松陰の言としてエリートは①風流・遊芸・奢侈を避けよ②権門勢家に近づくな、がある。最近自分は道元の教え「正法眼蔵」に惹かれている。エリートがやるべきこととして、①研究者は学問を続けてやれ、玄人が唸る論文を一本書け、学問をするというのは自分を学ぶ世界、自分を捨てよ(常識を捨てよ)②教育をせよ、教育も勉強も本来中国語である。日本語の「育てる」「教える」とは「愛(お)しむ」ということであり、世界に於るべき言葉である。「心ある日本人が毅然として生きる姿を見せること」これが教育であり、これを「点醒」という。最近の人は「教えたがる」が「待てない」。これが今の教育の問題点である。 嘉永6年ペリー艦隊4隻が来航、これは日本攻略が日的だった。砲艦外交の下今の横浜開港資料館(英領事館)で城下の誓といわれる和親条約が締結された。わが国は譜代の侍が立ち上がると言 われたが、260年の平和に馴れ日米に戦がなくてよかったという有様。松陰のみ主体性なし、精神的純潔が失われたと怒った。清国の状況を見よ、商館を置き治外法権、天主教、阿片を入れ植民地化され、事が起きた時清国人が銃をどちらに向けたか?日本は植民地化された。為替レートも自分で決められぬとは独立国と言えぬ。歴代総理のワシントン詣は参勤交代だ。日本は米国の次の州になればいいという日本人がいるには愕然とした。 松陰の危機感は、長州送り在所蟄居、道中漢詩57篇を詠んだが時とともにトーンが変化している。「誰かペリーを殺りに行け」が「米国に行く夢を見た」と。安政3年久坂玄端への書には「俺も殺ろうとしたが失敗した。無害有益だからやらなかったjと書き換えている。研究28年目に気付いた。兄、梅太郎の問「国のために何をしたか?」に答えていわく「刺客よりうまくやった。これも天命」と。 当時下田はスポットライトを浴びており厳しい警備体制を敷いていた。密航するなら宗家の対馬から米国行きの船が出ていた。先生没後肥後の公文書に刺殺に行つたとの記録がある。密航と言った理由は、牢から出たいことと、肥後の勤皇党が失敗したら又やるといっていたので、この仲間を守るためだった。米艦を訪ねた幕府役人の第一声は「米人に怪我はなかったか?」だったと米側の記録にある。 松陰も人間だったなと思う。記録の筆が変化している。殺される恐れがあったのだ。長州の借牢野山獄に11人居たが、刑期なし、取調べなしで外部の人と接触できない。49年の囚人も居た。松陰は天成の教育者であった。6ヶ月の内に同囚者に孟子を講じてくれと言わしめた。彼は先ず同囚の二人を先生と呼び、習字と和歌を教えてくれと乞い、それを手始めに同囚の皆に講義を始めた。その授業ノートが「講孟離別記」である。遂に長州藩は松陰収監中に何かあったら公儀に対し畏れ多いとして松陰を釈放した。松陰の教えはすべて具体論であり、「まともなロ本人を作らねばならぬ」ということである。支那を見よ、歴代王朝がいかに立派な理想を褐げて建国しても運用する人間が駄目なら国は滅びる。「エリートが毅然とした態度で生きることが大事」ということだった。大学で人は出来ぬ。その後心の師を求めて一人前となるのだ。大学までは基礎教育のみでよい。人間は理性がないほうがよい。理性を自分の言い訳にのみに使っている人が多い。 松陰は松下村塾3代目、彼が本当のことを話した人が十数人いる。久坂玄端、高杉晋イ乍。入洋一九などである。伊藤博文は聞いていない。人は先ず自分が学んだ師を真似て教える。オリジナリティはそれからだ。嘉永4年松陰は江戸に出て師たる人はいない、字を知っている人だけだと言ったが、兄には自分はエリートだと思ったが師の言われる事が判らないと本当のことを話した。彼は落ちこぼれたが8ヶ月で立ち直った。 勉強は何のためにするのか?①「学は人たる所以を学ぶなり」自分がわかる、心を磨<、いかに生きるかということである。最近山岡鉄舟が偉いと思うようになった。②基礎学力を徹底的につける。「自己教育」と「独学」とは違う。前者は先生がいて行き詰まったら先生の指導を受ける。主体は能動的に学ぶ方にある。学習能力を自得する。自己学習はテクニックのみ。③松陰は自分が江戸に出てみて落ちこぼれた。弟子には先生を訪ねて質問せよと門下生全員に紹介状を持たせた。落ちこぼれをー人にしないためである。人間は誰も期待しないと悪くなる。白己教育を続けられる人間を作りたい。最後は人間である。 伊藤博文は憲法制定するにあたりプロシアに学んだが、歴史、伝統、文化を反映せぬ憲法はありへぬと言われ古事記や日本書紀を全部読んだ。彼は韓国系の人ではないかと思われる。今、日本はピンチにある。尖問列鳥は侵略されている。自衛隊は軍隊にしなければならぬ。今にとんでもないことになる。八重山列島で日本漁民が中国人に出て行けと言われているが内地の新聞は書かない。 「日本人として日々毅然と生きること」を見せるのが青少年教育である。(安楽明郎記)
参加者(あ順敬称略)青木宏衛、安藤良男、安楽明郎、石井精二郎、石田明人、石橋直幸、井上晴見、猪瀬敏彦、猪之原菖子、大隅乙郎、小川光治、鍵山武男、川崎大八、菊地一郎、黒瀬笑子、小高俊久、小太刀昌雄、小林聖子、坂木文雄、山藤 卓、高原 孝、土倉享一、出川達郎、手塚善雄、戸塚孝吉、中尾公一、中西新一、中村哲三、並木隆史、西脇久夫、野中信男、信井文夫、初谷幸一、坂東能道、廣本 敦、藤井裕久、堀口昌信、正岡文人、松崎 淳、松島和夫、松原邦博、三木一郎、南 隆、南丘喜八郎、森木 亮、守屋 孝、諸江昭雄、山口雄次
~秋の墓参会報告報告~
平成25年10月5日(土)、明け方のざんざん降りが集合時間の10時には小雨になり、墓参会は決行。 今回、午前の部は巣鴨の染井霊園へ高田早苗先生(第3代総長・初代学長)、塩沢昌貞先生(第2代総長)、平沼淑郎先生く第3代学長)を墓参した、霧雨と小雨の中間くらいが降る中、花と線香を供え、傘を閉じて高原幹事長のリードで校歌斉唱。短時間で3ヶ所なので各所とも一番のみ歌う。とげぬき地蔵を経由して巣鴨駅前に戻り、昼食は駅近くの「鮒いち」へ。午後の部は、12時30分頃、巣鴨駅前からタクシーに分乗して音羽護国寺の大隈先生墓所へ。春の墓参会から半年ぶり。いつもと同じペースでの墓所清掃だが今年は雑草も落ち葉もすごかった。竹ぼうき、熊手を使い、数十センチに伸びた雑草は手で抜き集める。。全員、雨に濡れながらの作業。なんと15リットルのごみ袋15袋が満タンになった。水盤に新しい水を満たし、榊を供え、整列して参拝。そのあとは大石事務局長のリードで元気よく校歌3番斉唱。 参加者の皆さん、高齢の方もおられました。風邪をひかないよう祈ります。(大石和礼記)
参加者(あ順・敬称略)伊藤哲子、大石和礼、川崎大八、黒瀬笑子、小高俊久、小太刀昌雄、小林聖子、柳田野老、柴田親宏、高原孝、中西新一、野中信男、正岡文人、森木 亮、諸江昭雄。
~中野正剛先生・祥月命日墓参報告~
何処までも澄みきった秋空、凛とした雰囲気に包まれた多磨霊園の一角に、今年も10月27日(日)ご家族と春秋会有志が参集し、中野正剛先生を偲び、今を生きる我等の道を省りみる標を求めて、慕前に頭を垂れた。早稲田大学出身の政治家、ジャーナリストとして中野先生が語られることは少ない。否、全く語られないといったぼうが良いかも知れない。然し、手元に2010/10/23 WaSeda weekly tokusyuがある。奥島元総長が卒業生に送った「ミレニアムの世界へ翔く若人へ」とするメッセージで、「天下一人を以て興る。興らざるは努力せざるにある」という中野の言葉を胸に抱いて、この学窓からミレニアムの世界へ、勇気凛々諸君が翔いてくれることを期待ずる、と檄を飛ばしでおられる。そしてこうも述べでいる。本学の精神的支柱といわれる小野梓は「一国の独立は国民の独立に基いし、国民の独立は其の精神の独立に根差す」と喝破し、福沢諭吉は「一身独立し、―国独立す」と吼えている。私学の両雄が期せずして、一国の独立は、国民一人ひとりの独立が大前提であることを説いている。言葉を換えれば、「天下-人を以て興る」の気概ということにもなろうとし、あの戦時下の恐怖の憲兵政治といわれた弾圧の下でー人公然と東條と対決し、「東條討つべし」と叫んだ中野正剛は大衆政治家といわれた大隈重信の申し子であり、孤立を恐れず、自立した国民の支持を確信していた、と。国民が目覚めれ ば、天下はまさしぐ中野一人を以て変わるかもしれないではないか。これからのボーダレスの世界に立ち向かうに当たり、組織の力よりも個の力を強めてゆきなさい、進取の精神を学んだワセダニアンの出番が回つてきた、と。 この檄が卒業生にどのように響き、そしてその後の人生で実践に生かされるか、これこそが早稲田大学で検証されねばならないと思う次第である。この墓参会では、必ず一人ひとりが発言することになってる。中野家からは五人の方が夫々、近況などを話され、昨年も出席された白石敏彦氏が生前の正剛先生のユーモア溢れるエピソード、戦前戦後の代議士三田村(獄に繋がれたとき、見張りの巡査が中野を大獅子、三田村を小獅子と呼んだという)の娘を妻に迎えたこと、等々歴史の生き証人の話には身を正してしまった。千葉稲門会から毎年駆けつりる藤原忠夫氏(S36政経卒)も戦死した早稲田出身の叔父と三田村の縁から白石氏の話をじっくりと聞いておられた、全ては正剛先生のお導きである。 墓に寄り添う緒方竹虎言「魂」の碑を拝し、来年も必ずお会いすることを誓って、帰途についた。
参加者(敬称略・あ順)中野家(正道氏ご夫妻他五方)、白石敏彦。春秋会 川崎大八、中島ご姉妹、藤原忠夫、堀口昌信、河丘喜八郎、諸江昭雄(諸江昭雄記)
~秋季東京六大学野球早慶戦応援報告~
第6週迄は上位5校に優勝の可能性があり混戦が続いていたが、打線の低迷の為優勝を逃した秋のリーグ戦であった。朝IO時に信濃町改札口に16名集合し神宮球場へ。早稲田大学学生応援席に石田明人副幹事長のお世話にて入場する。試合前昔懐かしいワセダウェーブ。サイレントモーション等応援指導を受け学生時代に戻った気分になり試合開始を待つ。午後1時、慶応先攻、早稲田後攻。三回裏一死安打、盗塁後2番打者重信慎介(早実卒2年)適時二塁打にて1点先制。五回裏にも同じく一死安打盗塁後4重信が二塁打を放ち2対0とする。先発投手、有原航平(広陵卒2年)の被安打1で今季試合時間2時間5分の完封勝利であった。試合中、少々の小雨ではあったが、最後まで応援し勝利後の校歌を斉唱し、明日の連勝を祈念しながらそれぞれ信濃町方面、青山方面、武蔵野万面、横浜万面に散会する。(高原 孝記) 参加肴(あ順・敬称略)小野寺敏、川崎大八、菊地一郎、坂木文雄、柴田親宏、高原 孝、松原邦博、守屋 孝、守屋夫人、諸江昭雄、横浜稲門会4人、武蔵野稲門会2人
~2014年・箱根駅伝応援のお知らせ~
新春恒例の箱根駅伝は、正月二日例年通り往路「華の2区丿権太坂上で応援します。素質のある素晴らしいメンバーが揃い、優勝を期待しています。
日 時:平成26年1月2日(木)午前7時40分(時間厳守) 集合場所:早稲田大学春秋会事務局(JR桜木町駅下車・徒歩5分)
参加申込 早稲田大学春秋会審務局 槽浜市中区野毛町2-90桜木町スカイハイツ506 TEL 045-242-3521 FAX 045-241-8768 幹事 高原 孝 携帯電話 090-4948-7309
集合後、事務局前よりタクシーで応援現場に直行いたします。また、直接現地へ行かれる方はJR保土ヶ谷駅よりバスを利用、権太坂上で下車。徒歩5分坂を上がります。沿道に「がんばれ早稲田」の横断幕と「早稲田大学春秋会」のノポリが多数立ててあります。
~春の墓参会のお知らせ~
恒例の春の墓参会、午前の部は東京谷中霊園周辺で石橋湛山先生、小野 梓先生を墓參。午後の部は音羽護国寺の大隈先生の墓所に午後2時頃到着予定。墓参後は稲穂にて懇親会。墓所清掃も行いますので、服装は軽装にてお願いします。なお昼食の予約がありますので、参加申し込みは下記へ開催1週間前の3月22日までにお願いいたします。
集合日時:平成26年3月29]目(土)・午前10時30分・JR日暮里駅南9改札 参加費用:2,000円(午前の部花代、線香代、移動交通費、昼食代です) ※集合場所の日暮里駅南口改札は小さな改札です。 (北口の大きな改札口ではないのでお間違えの無いようご注意下さい) 申込先:大石携帯TEL 090-7220-5954 メールアドレス:oishi-kaikei@voice.ocn.jp
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