~早稲田大学創立者、その若き日の知られざる生き様~
山崎光夫講師による正に春秋会総会に相応しい演題「大隈重信青春譜」~早稲田大学創立者、その若き日の知られざる生き様~、熱き一時間の話であった。同氏は、テレビ台本作家をスタートとして、以後医学・薬学をテーマとして筆を執ってきたが、調べる内に大隈重信侯が明治5年ドイツ医学を導入する「医学会の礎」だったことが分かった。現大隈講堂裏には曾て元軍医松本良純が建てた我が国初の民間病院があったこと、また大隈重信の有名な人生125寿命説も先生の健康に対する知識欲、好奇心更には本人の旺盛な食欲に由来し、日本初の政党結成、通貨・円、鉄道敷設等のアイデアは多分に大隈先生の好奇心の賜物であったのだろう、と。大隈先生が明治政府の中で重用された切っ掛けは長崎時代の外国との法律論争にあるが、フルベッキ先生との出会いと教え、就中、米国独立宣言解読と背景にある聖書の購読を通して「万国公法」即ち「国際法」を会得していたことが大きな要因とみえる。