目の前の松の幹にリス。リスはびっくり、かたまってしまいました。(リスやネズミ、ウサギなどの齧歯目の動物は、身を守るためにフリーズ状態になるようです。動かないほうが猛禽類などの天敵に見つかりにくいからでしょうか?)
こんな時に限ってカメラを持っていないのですが、この日は幸いポケットにコンパクトデジカメが。リスがかたまっていることをいいことに、ゴソゴソ用意して撮りました。冬の準備に忙しそうです。それに、この森でクルミを拾って売る人が急増し、リスの食糧が危うくなっています。
新聞の投書で、子どもが挨拶を返してくれないことを嘆いていました。学校で「知らない人に声をかけられても無視しなさい」と教えられているというので、ショックだったと。
この人は年配の女性だけど、おじさんであるぼくたちはとっくに子どもに声をかけることをあきらめています。不審者扱いされることが目に見えているので。
ここ酒田でも、転居してきた7年前は、小学生も中学生も、朝会うと、元気に挨拶してくれたものです。でもこのごろは挨拶しなくなりました。してくれるのは、部活中の高校生くらいかな?
しかし、山で熊ベルが要らないと言われるほど、基本的に酒田人はおしゃべりな人が多いので、散歩中に出会うひとは挨拶を交わすのがふつうで、10分ぐらいしゃべってしまう人もいるほどです。(もちろん挨拶をしない人もいないわけじゃないけれど、きっと犬がにがてなのだろうと思うことにしています。)
以前、中高年登山ブームが始まったころ、首都圏に近く人気の山では、「こんにちは」と声をかけても無視されることが多くなりました。多くは男性で、こわばった表情から、聞こえなかったわけではなさそうだと想像できます。職場(下界、娑婆?)では相手に挨拶を返すような低い身分ではないぞと全身で語っているような。きっと奥さんにでも無理やり引っ張りだされたのでしょう。
中学生のころ、山に連れて行ってくれた先生から、山でのルールを厳しく教えられました。中でも挨拶は大事だと。そのころは理由はわかりませんでした。しかし、天気の急変や、怪我、遭難などの緊急の時、そこにいる人が互いに助け合わなければならないのが山です。だから、見知らぬ人同士が挨拶を交わすのは、いわば保険をかけるようなものだというのを、ぼくは自分自身の経験から学びました。
心配なのは、登校中に街のおじさんやおばさんに挨拶をしない、されても答えない子どもの未来像は、他人が見えない大人になってしまわないかということです。いや、すでに都会では他人を、まるでそこに存在しないかのごとく振るまう大人が多数派です。「傍若無人」というコトバはそこから生まれたのではないかとさえ思います。「カタワラニヒトナキガゴトシ」。
そもそも、家族以外の他人とのコミュニケーションは挨拶から始まります。お一人様になっても、人は他人とのコミュニケーションを求めるものです。子どもがうるさいと怒鳴ったり、電車が遅れたといって駅員に食ってかかるのは、いびつな表現なのかもしれませんね。
「知らない人に声をかけられても無視しなさい」と「指導」する学校は、たとえば不審者に連れ去られる事件が起こったようなとき、「あいさつをしましょう」と指導したことが原因だなどとバッシングを受けることを恐れるからなのでしょうか。あり得ることですね。でも「あいさつされても答えてはいけません」など、もはや教育ではないと思います。