人間が写っていない
正月のある番組が気になっています。それは、昨年、国連と上智大学がSDGs(持続可能な開発目標)をテーマとして開いた学生フォトコンテストです。 入賞した海外の作品が、途上国の子どもたちの給食風景など、人間や人間の営みを題材にしたものが多かったのに対して、日本の学生は、発芽した杉の芽とか、ゴミを漁るシカなどを被写体にしていたのです。環境を守ることを訴えている点では、与えられたテーマを逸脱したものではないのですが、紹介された日本人の作品には共通して、人間が登場していませんでした。
たぶんぼくも、被写体には人間を選ばなかったかもしれません。「個人情報」だの「肖像権」だのの問題が立ちふさがって、家族や知人以外の人間を撮ることはとてもむずかしいのです。 NHK山形の夕方のローカルニュースには、視聴者が投稿した写真を紹介するコーナーがあるのですが、人間が写っているものはたとえ「祭り」や「暮らし」がテーマであっても、採用されないのです。(個人が特定されるはずのない遠景であっても、後ろ向きであってもダメという徹底ぶり。それなら『祭り』や『暮らし』のテーマはおろすべきだと思うのですが。) 昔は、遠足や体育祭など、学校行事の写真を撮ると、「中学生って、こんなに生き生きとした表情をするんだね」と、プロの写真屋さんにほめられたのに、世紀が変わるころには、子どもたちはカメラを向けられると条件反射的に顔を隠すようになりました。撮られたくないというより、撮られてはいけないという強迫観念のようなものが感じられました。 こんな環境で育った若者は、初めから、人を「撮るべき対象」とは考えないのかもしれません。
でもそれだけが理由なのでしょうか? 彼ら若者たちが、人間や、人間を通して世界と向き合うことに関心を持たなくなっているのだとしたら、それはとても深刻なことだと思いませんか?そして、何がかれらを無関心にしてしまったのでしょうか?
|