宙ぶらりんの心……福島のNスペから考えたこと
40代のころ、職場の同僚が癌で亡くなりました。体育の女性教員で、同年齢でした。癌が見つかり、闘病のために休職するということで職場を去ったのですが、2年後くらいに亡くなったのです。葬儀に参加したかったのですが、家族の強い希望で、家族のみの密葬になり、職場の同僚も教え子も、お別れすることはできませんでした。 同僚の教員は、いわば戦友のような存在です。校内暴力や不登校、いじめなどの問題について夜遅くまで取り組んだり、話し合ったりしたわけですから。納得のいかないもやもやしたものが、いつまでも心から消えずに残っています。 そのとき、葬儀というものは、亡くなった人のためではなく、残された者のために発明されたしくみなのだと理解しました。親しい人の死を納得しないと、残された物は前に進めないのです。 親しい人の死、事件、災害などに遭遇したとき、自分を傷つけまいとしてむりやり記憶に封印してしまうと、かえってPTSDのような大きな傷を残してしまうことがわかってきました。 津波で流された家族をいつまでも探し続けるのも、同じ心理なのではないでしょうか。遺体が見つからなければ、死を納得することができないということなのでしょう。
1月9日のNHKスペシャル「それでも、生きようとした」を見ました。2011年の震災に伴う原発事故の被災者の自殺が急増しているというルポです。 震災の被害も、宮城や岩手ではスピードの違いはあっても、復興に向かって動き出しています。地震も津波も、ともかく過去に起こったことであり、そこから立ち直るという未来が見えているわけです。しかし福島ではどうでしょうか。 ぼくは以前から、帰還困難地域などについて、国が「生きているうちに帰ることはできない」とはっきり言うべきだと主張してきました。除染すれば帰れるという、それがいつのことなのか曖昧な目標にしがみつかざるをえない老人は、家族全員が以前のように一つの家に集って住めるという希望にすがってしまいます。一方放射線の不安から、帰らないと決めている若い人は、子どもと親の板挟みに悩みもするでしょう。現実にも心理的にも一つになれない家族。 希望が見えない、前に向かって歩き出せない、歩く目標、方向が見えない。すべて曖昧なまま時間が止まってしまっています。 それでも必死で頑張った5年が過ぎ、世間は無関心。震災はすでに過去のものという雰囲気です。「棄民」というのは、政治から捨てられたという意味ばかりではなく、マスコミ、人の記憶からも忘れ去られたことを意味します。 番組のなかで、「被災地の声」という仙台発の番組で、元気な様子を見せていた若い夫婦が、その撮影のしばらく後に命を絶ったという話がありました。米作りに情熱をかたむけ、収穫した米には残留放射能も検出されず、ようやく軌道に乗るかに見えたのに、その米が売れないという現実(いわゆる風評のためでしょう)にうちのめされたのです。 これが福島の現実です。原発災害は「収束」どころか猛威をふるっています。 それでも再稼働するというのでしょうか。この国の重要な「ベースロード電源」であり続けるのでしょうか。 何かが間違っているなどという曖昧な言い方はやめましょう、完全な間違いだと言い切りたいと思います。 今は郡山市に住む叔父(とはいっても、年齢は1歳しか違わないのですが)からの年賀状には、「双葉町の自宅は、雑草と野生動物に荒らされたままです」と書かれていました。心が痛みます。
|