NHKドラマ「花嵐の剣士」を見て
1月14日NHK・BSプレミアムで放送されたドラマ『花嵐の剣士』(黒木メイサ主演)は、実在の女剣士・中澤琴を描いたものだそうです。上州出身で、幕末の浪士隊「新徴組」に加わり、戊辰戦争では庄内で戦い、晩年は昭和まで生きたそうです。 NHKは、この番組でも評判の悪い「番宣」を繰り返しました。それを見ていて、ちょっと気になることがありました。それは、新調組の正装と思われるいでたちに、日の丸のワッペンのようなものがあったからです。あの日の丸は何だろうと思ったのです。 清河八郎が、京に上る将軍を警護する名目で集めたのが浪士隊。将軍家茂と共に上洛した浪士隊を、清川は「この隊は今後、尊皇攘夷のために活動する」として江戸に戻そうとしました。初めからそのつもりだったのです。それに抵抗して京都に残った一派が新選組になります。 江戸に戻った浪士隊は、「大義のため」として、金銭を強奪するなどの乱暴狼藉で顰蹙を買う事件が続発し、出羽庄内藩(酒井家)の預かりとなります。新徴組として江戸の治安を預かることになったのです。江戸市中を見回る新調組を、江戸市民は「お回りさん」と呼んで親しんでいたといいます。警察官をお巡りさんと呼ぶ原点だとのこと。 ドラマの新徴組は、例のワッペンだけでなく、背中に日の丸を染め抜いた赤い陣羽織を着用。また幟旗も日の丸です。実際にこのような制服を着用したのかどうかはわかりませんが、庄内藩預かりということから、日の丸の理由がわかりました。日の丸、実際は朱の丸と呼ぶのですが、庄内藩酒井家の馬印なのです。毎年8月15日に鶴岡で行われる「庄内大祭」の大名行列では、先頭をその朱の丸と、瓢箪の旗指物が行進します。この祭りは、酒井家の藩主を弔う鶴岡最大の祭りで、そのため、お盆が月遅れで行われることが多い東北地方にあって、鶴岡では新暦で行うほどです。 鶴岡の致道博物館に展示されている庄内戦争絵巻では、薩長軍や秋田軍と、日の丸を掲げる庄内軍が描かれています。 戊辰戦争で、日の丸が「朝敵」とされた庄内のシンボルだったと考えると、その後、どういういきさつで「国旗」となったのかが気になるところです。また、昔は学校の儀式では、日の丸は、天皇の「御真影」がある校内には掲げられず、校門の外側に2本交差して掲揚していたことや、国旗国歌法が成立されるまで日の丸を国旗と定める法令がなかったことも、こんないきさつがあったことが関係しているような気がします。 戊辰戦争では、会津と庄内がとりわけ激しく攻撃を受けました。新選組は会津藩の配下にあったので、新選組への薩長の恨みが会津に対する徹底した攻撃になったと言われています。とすれば庄内藩は新徴組への恨みが関わっているのでしょうか。しかし、会津いじめは長く続いたのに反して、庄内藩は明治になってまもなく許されました。西郷隆盛のとりなしがあったと言われています。例の大名行列が許可されたのが明治10年ですから。 それにしてもこのドラマ、明治維新への強烈な批判も隠れているように見え、長州藩にルーツを持つ自称リーダーへの皮肉も含まれているのでは?という感想も持ちました。
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