オウムと人生を語り合う日
松林の中の市立武道館の駐車場に、今年もハシボソガラスのカップルがやってきました。大人のカラスは、冬の集団ねぐらから出て、カップルごとに営巣地に戻ってくるのです。先日は、地上から高く舞い上がり、すぐに舞い降りてくるという行動を繰り返していました。よく見ると、クルミをくわえて上から落としているのです。うまく割れたら食べられるけれど、失敗したら再挑戦。 やがて車に轢かせてみたり、走っている車の直前に落としてみたりと、行動がエスカレートしていくのが毎年の例です。そしてあきてしまうらしい。食べるためというより、クルミを割ることを楽しんでいるように見えます。 現代人が釣りをしたり、山菜を採ったりするのは、別に生活が苦しいからではなく、楽しむためですが、カラスもいろいろな遊びを考えだして楽しんでいるとしか思えない行動をします。必要は発明の母と言いますが、楽しみが発明の母という要素もあるのでしょうね。 春めいてくると、静かだった森もにぎやかになってきます。キリキリ、コロコロ、時にはジューイと渋い声も出すカワラヒワ。チーチッチとかギーなどというのはコゲラ。控え目ながら枯れ木を叩くドラミングも始めました。アオゲラはケケケと鳴いてみたり、ピウ、ピウと通る人を冷やかしたり。ホオジロも歌い始めました。 でも、最初にさえずり出すのはシジュウカラ。ツッピ―ツッピーなどと主張し始めます。それだけでなく地鳴きも複雑で、なにやらおしゃべりしているように聞こえます。いやほんとうにしゃべっているのかもしれません。シジュウカラの鳴き声には文法があるらしいと、去年新聞に書かれていましたから。あの複雑な鳴き声は、彼らの言葉なのかもしれないというわけです。 鳥が恐竜の直系の子孫らしいと言われるようになりましたが、さらに鳥は常識に反して、かなり賢いのだということもわかってきたそうですね。単純に比較はできないけれど、犬どころかチンパンジー、ボノボより得意な分野もあるのだと。人の言葉をまねるインコの中には、その言葉を使って意味のあるおしゃべりをするものがいるというのです。たとえば、お気に入りの人形と遊びながら「◯◯チャン、カワイイカワイイ」なんて頬ずりしたりするのだと。「お前は3歩歩けば忘れるのか。ニワトリ並みだな。」とか、鳥頭、バードブレインなんてさんざん言ってきましたが、鳥に対してとても失礼でした。ごめんなさい。 木に穴を開けてドングリを隠す(貯食)するアメリカのキツツキや、ハイマツの実を地中に隠しておく日本のホシガラスは、隠した場所をすべて覚えているのだそうです。そのハイマツが発芽して分布を広げるのは、ホシガラスが忘れるからではなくて、多めに隠しておいた余りなのだとか。 営巣中のカラスが、特定の人を攻撃するのは、その人が、意識的にせよ、無意識にせよ、巣に近づきすぎて脅威を与えたことを記憶しているからだそうです。 しかし鳥が何を考えているのか、表情がないので想像できません。鳥は空を飛ぶために、極力体を軽くし、歯さえ退化させてしまった。表情筋とは噛むための筋肉が分化したものなので鳥には表情がないのだと、ある本には書いてありました。でも、表情がなくても感情がないわけではないらしい。 日本昔話に「聞き耳ずきん」というのがありましたね。それをかぶると鳥の会話がわかるという頭巾の話です。研究がすすめば、現代版「聞き耳ずきん」が発明されるかもしれませんね。 長生きするというオウムに、人生の悩みを相談するなんていう日も、そう遠くないのかもしれません。
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