早稲田大学春秋会だより 平成29年4月25日
第120回 早稲田大学春秋会総会のご案内
時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は春秋会の活動にご協力頂きまして厚く御礼申し上げます。下記の通り新春の集いを開催致しますので案内いたします。
日 時 : 平成29年 6月10日(土)13時より 場 所 : 総 会 3号館4階406教室13:00~13:30(受付12:30) 講演会 3号館4階801教室13:40~14:40(受付13:20) 懇親会 楠亭(大隈会館1階)15:00~17:00 演 題 : 「排日移民法」と闘った外交官」 ~1920年代日本外交と駐米全権大使・埴原正直~ 講 師 : チャオ埴原三鈴:元マッコーリー大学教授 会 費 : 5,000円
【講師略歴】早大政治経済学部卒、カリフォルニア大学バークレー校大学院修士、総合研究大学院大学にてPhD。マッコーリー大学(シドニー)日本学科長、日本教育研究センター長を経て2007年退官。埴原正直の弟弓次郎(早大卒、古河銅山副社長)の孫にあたる。シドニー在住。 著書:「『排日移民法』と闘った外交官 埴原正直」 藤原書店 2011年 「The Turning Point in US-Japan Relations Hanihara’s Cherry Blossom Diplomacy in 1920-1930」 Palgrave Macmillan, New York, 2016
【講演内容】埴原正直は1876(明治9)年8月山梨県南アルプス市出身。1897(明治30)年、東京専門学校(現早稲田大学)政治学部英語政治学科を優等首席で卒業。43才で外務次官、1922(大正11)年12月に46才という日本外交史上最も若くして、しかも、早稲田大学出身唯一の駐米全権大使となった。前任者はいずれも幣原喜重郎であった。1923年12月、米議会に提出された新移民法案(いわゆる排日移民法)に含まれる排日移民条項は、人種差別であるとして修正を求め、埴原正直は議会を相手に華々しく闘った。結果的に彼の(日本の)要求は通らず、翌年1924年4月に可決されたが、彼のフェアプレーとも言うべき闘いは、米国内の多くの良心的リベラルな知識人やマスメディアに称賛され、米国の名門ブラウン大学から名誉博士号を授与されるに至った。にもかかわらず、彼の優れた功績は、わが国の歴史に埋没されている。何故か? 今回は、世界的激変を迎えた戦間期(1918~1939年)外交の渦中にあって、日米両国の協調こそ世界平和の要と信じ、その建設・維持に心血を注いだ外交官についてお話をしていただく。
《連絡先》鴛海量良(オシウミ カズヨシ) 090-4396-1596 aloha.cpa.oshiumi@nifty.ne.jp
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また、当日は総会に先立ち、11時半より「紺碧の空」歌碑に献花を行います。お時間のご都合のつく方は大隈会館前「紺碧の空」歌碑前にお集まり下さい。なお、出欠については同封の返信ハガキにて開催10日前の平成29年 5月31日(水)までに返信のほどお願いいたします。お問い合わせは事務局まで。 事務局アドレス oishi-kaikei@voice.ocn.ne.jp 大石携帯 090-7220-5954
~第93回東京箱根間往復大学駅伝・応援報告~
正月二日、往路「華の二区」権太坂上応援
1月2日往路、今年も「花の2区権太坂上」の定位置に春秋会の世話役が早朝から集い、山藤卓さんの場所取り箇所で、旗や幟の準備万端、古川淳一さん差し入れの金粉入り日本酒を前祝いに飲みながらひたすら待つこと一時間超。昨年の大学駅伝の実績から、今年は青学に一矢報いる可能性あるため、皆熱が籠り気合いがみなぎる沿道に、漸く先導の白バイ複数が通り抜けてゆく。早稲田の2区は実力派2年生の永山博基、本来ならば飛び抜けての先頭を期待されたが、トップの神大を除き2位から7位までが団子状態、永山6位(区間記録10位)であっと言う間に駆け抜けて行った。まだまだ!と期待を持ちつつ応援具を片付け、近くのレストランで打上げを兼ねた新春の交歓会、多少飲み過ぎの輩あるも来年の再会を誓い和やかに解散。後の3区から5区までは予想通りの大健闘、青学に僅か33秒の差で及ばずも見事な往路準優勝であった。 1月3日復路、ゴール直前の日本橋、榮太郎本舗日本橋本店の前に、学帽と春秋会法被姿の伊藤哲子姉を目印に春秋会面々が集う。既に事前情報にて、6区から8区まで2位をキープしている早稲田だが、肝心のトップ青学との差は益々広がり続け、青学や明治などの旗、幟が犇めく沿道でせめて準優勝をとの期待を胸に一同ひたすら待つ。軈て銀座方面の上空に、報道ヘリの轟音が響き始めて間もなくトップの青学が絶対王者の風格、笑顔の余裕で颯爽と走り抜ける。圧倒されたのは沿道応援の超大群衆、天晴れ!、としか評し切れない完璧な走りとはこれか、と思い知らされる。遅れること7分余り、早稲田は9区で東洋に抜かれ、期待のアンカー清水歓太2年生の追い上げ虚しく、残念ながら3位でのゴールであった。だがここ数年の実績に比べれば、今年の健闘は大いに讃えるべきである。打上げは毎年恒例、中央稲門会主催の「勝っても負けても祝勝会」に合流参加、会場の銀座東武ホテルにて都内様々な稲門同窓との歓談、中でも圧巻は、早稲田競走部現役時代に4年間、毎年箱根駅伝の10区を任されたという豪傑、滝川哲也氏の熱い講演であった。 最後は、全員で校歌を高らかに歌い上げ、来年の再会を誓って散会。本年も、両日とも晴天に恵まれ、清々しい駅伝応援会であった。(片岡冬里記) 参加者: (順不同)伊藤哲子、高原孝、小高俊久、山藤卓(夫人、孫2名)、古川淳一、柴田親宏、林田浩次、諸江昭雄、川崎大八、小野沢純一、篠原哲(夫人、長女)、片岡冬里、他数名。
~早稲田大学春秋会 新春の集い~
平成29年1月22日、新春の会に最も相応しく、雲隠一つない快晴に恵まれた午前10時、大隈会館前にて、紺碧の空の碑の前に役員、幹事が斉揃い、ニ礼、二拍、一礼の後、同歌を元気良く歌い上げ、一同清々しい気持で会場へ向かった。 11時より、同会館301,302,303号室にて恒例の「新春の集い」が開催される。今回は、第一部「講演会」、第二部「懇親会」の二部構成、参加者は申込70で当日実績総数62名、過去稀にみる多数の参加者であり、開会前から華やいだ雰囲気が漂っていた。 「講演会」司会(諸江幹事長): 海老沢勝二新会長の開会挨拶に続き、早稲田大学政治経済学部国際政治経済学科2年生の南谷真鈴さんによる「世界七大陸最高峰を制覇して」と題する講演が始まる。 南谷さんの全世界に鳴り響く活躍振りについては、既にマスコミにより大きく報道されてきており、会場内では知らぬ者居るはずもなく、聴衆一同皆彼女の人となりに注目、用意された数々の写真と、それらの説明の一言ひとことに、まるで魔法にかかったように引き込まれていった。生死の狭間を掻き分け、ひたすらに頂上を目指す大冒険の数々、聴いているだけでも息を飲む場面を実体験している彼女が、いとも簡単に、サラリと説明して過ぎていく。大偉業を淡々と語るこの若くて美しい女学生に、一同呆気にとられた、と言っても過言ではない。 講演終了後も皆興奮覚めやらず、彼女への質問や激励の弁は絶えることもなく、最後は司会により打切りとなる程の盛況であった。 「懇親会」司会(青葉副会長): 冒頭の挨拶は、昨秋に会長代行に就任されたばかりの鴛海量良氏、この会の準備にご苦労された方々への労いと来年度早々の活動計画の概要を含め、こまやかなご挨拶。乾杯の音頭は急遽ご欠席になられた小川最高顧問に代り、早稲田大学元総長の西原春夫先生、若き学生を二度と戦場へ送ってはならないとの強い思いを込めた元気良いご発声にて一同杯を飲み干し、一斉に宴が始まる。歓談の中、今回初参加の方7名、さらに現在春秋会への入会検討中の方7名の一人ひとりに簡単なスピーチを頂き、今後の会員増強への期待が膨らむ賑やかな宴会となった。 最後の校歌斉唱は石田副幹事長、早稲田の歴史を彷彿とさせる前口上、続く凛々しい指揮により、一同全員が皆声高らかに元気良く歌い挙げ、最後は力強いエールにて会を締めくくった。 全体を通し、中身は濃く、かつ終始和やかな新春の集いとなった。(片岡冬里記) 参加者(敬称略あ順)青葉ひかる、朝倉俊之介、安楽明郎、石井精二郎、石田明人、石田菊香、和泉喜兀、伊藤哲子、猪瀬敏彦、薄井好雄、梅原俊治、海老沢勝二、大石和礼、太田利雄、鴛海量良、片岡冬里、片山留偉、勝山宏則、加藤暢之、加藤善高、門脇功洋、菊地一郎、黒瀬笑子、輿水敦、小高俊久、小太刀昌雄、齋藤徹也、佐野彰一、山藤 卓、重満武和、実松靖之、篠原 哲、柴田親宏、島田實、清水保宏、新宮清高、鈴木 徹、鈴木靖之、関 雅行、高原 孝、田坂忠俊、田中寿三郎、田原稔夫、土倉享一、出川達郎、手塚善雄、寺内清高、冨岡藍子、友納あけみ、中川幹雄、西原春夫、野中信男、信井文夫、廣本 敦、松浦 靖、松原邦博、南丘喜八郎、南谷真鈴、村田光平、森 忠大、諸江昭雄、安井 緑、山口光朗、山口雄次(以上64名)
~第15回梓立祭参加旅行記~
平成29年3月5日、早稲田大学建学の母である小野梓の遺徳を偲ぶ「梓立祭」が出身地である高知県宿毛市に於いて開催された。今回は第15回の記念大会であり、主催者宿毛市の心配りが随所に伺える盛大な会であった。春秋会より奥島元総長(宿毛名誉市民)、鴛海、片岡の三名が参加したが、以下にその概要を報告するものである。 前日の朝、筆者(鴛海、片岡)の二名は羽田空港より9:35発JAL便にて高知龍馬空港11:10着、空港連絡バスで約40分後にはJR高知駅に着く。折しも駅周辺は、「志国高知幕末維新博」の開催初日で賑わっていた。平成31年3月末まで丸2年にわたって高知全域で様々なイベントが続くと言う。簡単な昼食を済ませ、13:49高知発、中途中村駅乗換、宿毛着16:07の些か長い鉄路の旅を経て漸く目的地へ到着した。四国全面積の約半分を占める高知県、しかもそれは南半分であるため、東端の室戸岬から西端の足摺岬までが異常に長く、宿毛市は当に西端にて愛媛県との県境に位置している。その西面は市内を南北に流れる松田川河口の宿毛湾に向かい、残りの三方は山々に囲まれ、他市からは隔絶された狭い地域で、人口約二万一千の地方小都市である。宿毛駅舎に窓口がある宿毛市観光協会に、偶々東京から転職して1年という若き早稲田大学OBに巡り合い、翌日の式典の後の祝賀会場となる秋沢ホテルへチェックインする前の2時間ばかり、ゆっくりと南面の海岸線を車で案内して頂く。快晴に恵まれ、当に水平線に沈もうとしている夕日の深紅と、反射して光耀く海面の眩しさ、遠く、近くに点在する島や半島、複雑に入り込んだ海岸線を形成するゴツゴツとした岩肌などが織り成す絶景に、暫し観とれて二人共に言葉もなく、ただシャッター音のみが響くばかりであった。ホテルにチェックインの後、すっかり打ち解けた観光協会の石原光訓君に案内され、市内の和食人気店にて三人で夕食をとりながら懇談。聞けば彼の出身地は埼玉県、高等学院から政治学科に進み、大学時代に伝統あるサークル「思惟の森の会」の第43期幹事長を務め、その在任中に宿毛市を訪れて活動した経験があり、卒業は東北大震災(2011)の年だが、直後に東京大学大学院へ進んで、自然環境学の修士を取得されたとのこと。2013年に修士卒業後の一時、東京のIT企業に入社するも、間もなく退社、縁あって一年前に家族を連れ宿毛市へ移住、現職に着いたとのことである。 翌日、梓立祭の式典は午後のため、午前中に狭い市街地の歴史観光スポットを自由に、ジックリと探索する。レンタサイクルを借りて、昔の宿毛城下町を探訪するのには、午前中の三時間程で充分過ぎる程であり、中でも市街地中心部にある宿毛文教センター内の「宿毛歴史館」は圧巻であった。折しも「志国高知幕末維新博」が始まったばかり、当館でも「おもてなし隊」の法被を纏った案内人に一時間以上もかけて館内の展示品を懇切丁寧に説明して頂く。驚いたことに、幕末維新から明治、大正、昭和初期に至るまで、21名もの偉人、賢人がこの小さな宿毛から輩出し、彼らは世界的な視野にて日本の政治・経済・学問などをリード、大活躍をしてきたのである。勿論、小野梓はその中の一人であるが、敗戦直後の名宰相、吉田茂も宿毛がルーツであった。その父親の竹内綱も21偉人の一人であり、維新後に板垣退助と共に自由党を創立した人物であった。さらに、綱の長男明太郎も21人の一人で父親と共に高知工業高校を設立、また独自に重機メーカ小松製作所の創業者となり、早稲田大学に理工学部を創立した人物でもある。吉田茂は五男であったが、綱の実業界の盟友、吉田健三の跡継ぎに迎えられ、その財力を存分に活かして後々政界で活躍することとなる。小野梓の活動を支援し、梓が設立した東洋館書店を引き継いで、書店冨山房を創業した坂本嘉治馬も21人の一人であり、この書店は現在でも「冨山房インターナショナル」として繁栄を続けている。また、21人の中の一人である小野義真は、梓の父親小野節吉および前述の竹内綱の三人で、幕末に南海地震の被害で深刻な財政悪化に苦しむ土佐藩宿毛領の危機を救い、維新後は岩崎彌太郎の厚い信頼を受け経済、実業界にて大活躍をするが、病没した節吉に代わり梓を経済面から支援、後に縁あって梓の義兄となっている。 午後2時過ぎ、市役所の近隣に位置する菩提寺「東福院」の梓の墓前に関係者数十名が参列、住職の読経に促され、一人ひとりが焼香、拝礼の誠を尽くして愈々梓立祭の幕開けとなる。さらに、近隣の清宝寺へ移動、境内に設立された梓の死を悼み、その偉業を讃える巨大な石碑を拝観、参列者全員にて記念撮影を済ませ、小野梓記念公園へ向かう。この公園は、梓の生誕地に面し2002年の生誕150周年に際して、早稲田大学が土地を購入し、その土地と梓の銅像をセットで宿毛市へ寄贈したものであるが、後に宿毛市が公園として整備し、さらに梓像の両脇には彼を支援した前述の坂本嘉治馬および竹内明太郎の銅像が加えられていた。参列者を代表して、奥島元早稲田大学総長、梓の曾孫である小野雄二氏、冨山房インターナショナルの代表坂本ご夫妻、小松製作所の代表取締役副社長藤塚主夫氏の方々が厳かに各銅像へ献花、拝礼して現地慰霊会は恙無く終了した。参列者全員は主催者のマイクロバス二台に分乗し、15分程で次の会場である宿毛市総合社会福祉センターへ移動した。梓立祭の最大イベントである記念式典は、このセンターの大ホールに於て、15:30より開催された。この大ホールには、定刻前から一般市民凡そ数百名が集い、老若男女で賑わっていた。第一部は、地元の小・中学生による小野梓に関する作文・絵画コンクールの受賞式、第二部は、吉村作治早稲田大学名誉教授による「小野梓・早稲田大学とエジプト発掘最前線」と題する記念講演である。第一部の壇上には来賓席と主催者側の幹部席が並び、先ずは主催者側の各幹事役や関係者による挨拶、続いて前述の梓記念公園にて献花された来賓の方々による挨拶、そして小・中学生の受賞式、来賓からの記念品授与などが続き、終始一貫整然として、かつ和やかな式典となった。しかし、現在でも宿毛は地理的に陸の孤島である現実があり、聞くところによると21偉人の子孫は全て地元から離れ、優秀な中学生は卒業後、皆市外の進学高へと転出してしまうと言う。宿毛市が如何に危機感を持って教育・文化・観光などに力を入れているか、その一端が拝察される場面でもあった。第二部では、今やその名を知らぬ人もなく、世界的に著名なエジプト考古学者、吉村作治先生がただ一人で壇上に立たれ、意外に物静かな口調で語り始める。数百の聴衆が息を止めて聞き入り始めると間もなく、聞けば誰でも分かるジョークが随所に飛び出しては自然な笑いを誘い、難しい専門用語などを使うこともなく、誰でも分かる平易な言葉で飽きさせない。また、その内容は若者達に勇気と希望、さらにはチャレンジ精神を燃え上がらせるものがあり、また成人や老人には、狭い島国日本から世界史の根元たるルーツの発掘に挑み、数々の学問的な成果を挙げたこの一風変わった同邦人に誇りと共感を覚えさせるものであった。演題の「小野梓・早稲田大学」と「エジプト発掘最前線」とは、どう考えても関連性が浮かばない!と当初は誰しもが思ったに違いないが、講演者自身がそのことに触れ、矛盾を隠さず淡々と話しを進めていく内に、終了間際にはこの二つの演題の関連性に違和感が消えているのを自覚したのは果たして筆者だけであっただろうか?一部、二部共に盛況裏に終了、一般聴衆の多くの市民が満足そうな笑顔で席を後にしたのは定刻の18:00を些か過ぎて、南国土佐にしては多少肌寒い夕暮れ時であった。 最後の祝賀会は19:00より、会場は筆者(鴛海、片岡)の宿泊する秋沢ホテル、館内三階の結婚披露宴などのための大広間、参加者全員指定の丸テーブル席、総勢約100名の大パーティである。司会の開会宣言直後、「どうぞ自由に飲み始めて下さい!」とのザックバランな配慮に、参加者一同乾杯の音頭までじっと我慢する必要もなく、大広間全体が瞬時に和む。主催者側幹部や地元名士の挨拶、小野梓縁の来賓の挨拶などを拝聴しつつ、土佐独特の大皿、山盛りの豪快な料理を堪能、酒豪の多い土地柄か、あっと言う間に宴席が盛上り、気が付けば、大量に持参したはずの名刺入れに自分のものが底を突いていた。短時間ではあったが、この懇親会にて多くの地元の人々と直に触れあい、小野梓をキーワードに楽しく交流できたことは大変有意義であった。来年の第16回梓立祭での再会を約して知り合った皆さんと名残惜しく別れ、二日間の旅の疲れと宴席での酔いがまわり、部屋に戻って心地よい満足な眠りに就くまでの記憶は皆無であった。翌日の帰路も天気に恵まれ、一日に一本という宿毛~高知直通の特急列車に乗って高知駅まで戻ったのは午前11時を少し廻った頃であった。16:05発JAL便までの時間を利用し、昼食を簡単に済ませ、高知城と附帯する歴史博物館をじっくり見学、久々に高知の歴史とそれを動かしてきた人物、群像に思いを馳せ、多少の旅の疲れにも拘わらず満ち足りた気分にて、羽田空港へ定刻通り無事に帰着した。(片岡冬里記)
~290408執行役員会報告~
昨年10月の秋季大会における役員改選後は、①32人の役員のうち、会長代行以下幹事まで16人から成る役員会を会の汗をかく実行部隊として執行役員会と名付け、②さらに、その前段階として執行役員会に上げる議題検討会を設け、会長代行、副会長1人、幹事長、事務局長、副事務局長1人から成る会議を便宜的に三役会議と称し、会の活動の機動性と活性化を狙って2段階の意思決定プロセスを経て、会の運営を行うことにした。以下は、昨年11月20日第1回に続き、4月8日に行われた2度目の執行役員会議事録要旨である。 1.新春の集い反省会 ①パワポ設備改善の大学への申し入れ、②懇親会の食事不足、③乾杯担当者の式次第への記載、④会場は今後303を追加、等々。 2.講演講師選定基準 会則第3条の趣旨にしたがって、次のような基準に合致する講演講師を選ぶ。 会の目的→建学の精神の継承・普及→学問の独立・学問の活用・模範国民の造就 →進取の精神・反骨精神・在野精神→ワセダイズム 3.会員名簿の配布 使用目的を明確にし、会員個人の卒年・学部・住所等の個人情報開示についてのアンケートを実施して、会員名簿の取り扱いのルールを決め、会員間の親睦促進のため配布する方向で進める。 4.会員入会時期と中途入会者の会費の扱い 前者は会費入金時点、後者は差を設けず一律3000円とする。ただし、新入会員に対しては申込み時点と会費入金時点との差について説明をする。 5.総会・講演会 ①日 時 6月10日(土) 総 会 13:00~13:30 3号館4階406教室(予定) 91人収容 講演会 13:40~14:40 3号館8階801教室(予定)212人収容 懇親会 15:00~17:00 楠亭 ②講演講師 チャオ埴原三鈴・元マッコーリー大学教授(シドニー) ③演 題「排日移民法と闘った外交官~1920年代日本外交と駐米全権大使・埴原正直」 講演会集客のため、①「早稲田大学校友会からのお知らせ」一斉メールを校友・学生に対して行う(4月16日)。②東京都23区支部・東京三多摩支部傘下の49稲門会に対して封書とメールで案内し、神奈川・千葉・埼玉へ県支部事務局のみ同様の案内をする。③埴原正直は山梨出身なので山梨学生早稲田会の学生の協力を得る。④シラバス検索を利用し、「国際関係論」専門の教員に学生動員のお願いをする。⑤その他エクステンションセンター等を利用する、等々。 ④当日の役割分担を決めた。 6.秋季大会は10月21日(土)に決定。 7.次回・次々回の講師 ①秋季大会 税所篤快(2014年教育学部)「『最高の授業』を世界の果てまで届けよう」 ②新春の集い 山内晴子(2008年アジア太平洋研究科・学術博士)「朝河貫一と埴原正直」 (鴛海量良記)
~春季東京六大学野球・早慶戦の応援~
学生応援席にて応援、試合終了後は信濃町駅前の「ジョン万次郎」にて懇親会を開催予定です。 日 時:平成29年5月28日(日)午前10時00分 集合場所:JR信濃町駅改札口前 参加費用:1,000円(入場料、応援用具代) なお、お弁当は各自で調達のこと ※第2戦です。お間違えない様に!! 応援参加希望者は1週間前の5月21日(日)迄に下記のいずれかにお申込み下さい。 春秋会事務局tel 03-6906-8093・fax 03-6906-8094・高原幹事長090-4948-7309
~会員の近況~
会員皆様の近況やお知らせをほんの一部ですが、紹介いたします。 安藤良男・1月2日、箱根駅伝の応援に行きました。結果は3位でまあまあの結果でした。 大久保尚節・妻が悪性リンパ腫にかかりガン治療を続けています。 大隅乙郎・ノーベル賞の大隅先生とは何の関係もないのですが、大隅姓がメジャーになり嬉しいです。 川崎大八・トランプ相場は手ごたえあります。 小高俊久・鴛海氏から紹介して頂いた「排日移民法と闘った外交官」を読んでいます。 小針侑起・早大学生が大正時代に熱狂した浅草オペラ100年の記念の年です。2月に浅草オペラ論文集を共著で出版予定です。 山藤 卓・音楽による養老施設訪問等で忙しく活動しています。 清水司・体調悪く、当分入院になると思います。 戸塚孝吉・相変わらず歩行に難儀しております。 中根康雄・親の介護で中々手が離せません。 松崎 淳・神奈川県議会で予算委員会副委員長を、また県民スポーツ常任委員として頑張っています。
~よろしくおねがいします~
秋季大会以降に入会された方々です(敬称略あ順)。浅井 潤、石澤一郎、和泉喜兀、上野竜造、海老沢勝二、遠藤安彦、小野沢純一、加藤暢之、門脇功洋、櫻井正三、実松靖之、篠原 哲、友納あけみ、南雲靖夫、松浦 靖、山口光朗、横山重文
~会費納入者~
前号発行以降、28年12月~年度末までに納入された方です(敬称略あ順) 振込:浅井 潤、足立 始、石澤一郎、和泉喜兀、上野竜造、小野沢純一、加藤暢之、門脇功洋、坂井俊一、櫻井正三、実松靖之、篠原 哲、末広 崇、友納あけみ、中村哲三、南雲靖夫、廣本 敦、松浦 靖、松村恒夫、山口光朗・ 現金納入:横山重文 ~寄付のお礼~ 前号発行以降、28年12月~年度末までの寄付者です。ありがとうございました。 横山重文
~平成29年度・年会費納入のお願い~
当会の運営は会員皆様の年会費に支えられております。おそれいりますが同封の振込用紙にて平成29年度年会費(3,000円)のお振込みをお願い申し上げます。また、未納分のある方は過年度未納分の明細を同封致しますので、今年度分と併せて速やかにお振込み下さいますよう宜しくお願い申し上げます。
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