先日、鶴岡市の大山下池の周囲を歩いてみた。池に隣り合う小さな沼でガサガサ音がした。枯れたヨシの茎を縫うようにして何かが近づいてくるのだ。ドブネズミか?まさかカワウソ?
現れたのはカワウソならぬカワウだった。浅い沼なので、体に水草がつき、泥をかぶっている。この沼には特定外来生物のウシガエルやアメリカザリガニが生息している。ブラックバスなどもいるらしい。ナムサール条約登録の環境を守るために、時々ボランティアを募って駆除してはいるのだが、追いつけないようだ。カワウはウシガエルのオタマジャクシなどをあさっているのではないだろうか。いわば刺客のような存在なのかもしれない。
鵜飼で活躍するウミウと異なり、川沿いの木立などに集団で営巣するカワウはとかく評判がわるい。糞で植物が枯れたり、食べ残しの魚が腐敗して臭うからだとか。しかし、こうしたプラスの一面もあることを評価すべきなんじゃないだろうか?
評判がわるいといえば、島根県雲南市で、サギと間違われてコウノトリが射殺されたそうだ。つがいで4羽の雛を育てていたが、残った雄1羽では4羽を育てるのは無理と判断して雛が保護されたという。コウノトリはほとんど絶滅しかけたのだが、兵庫県豊岡市で保護してようやく野生に復帰させ始めたところだ。
しかし……、とぼくの曲がったへそが異を唱える。
コウノトリは保護されるのに、なぜサギは駆除されるのだろう?どちらも田んぼでのどかに小魚やカエルなどを漁っているじゃないか。カワウと同じように、サギの集団営巣が問題なのか?サギも絶滅が危惧されるほど激減すれば、珍重されるのか?
サギが絶滅危惧種になる日はそう遠くないだろう。カエルの鳴かない田んぼ、ミツバチが集まってこないアカシアの花、ミノムシがいない生け垣、テントウムシがいない原っぱ。「沈黙の春」は遠い外国の話ではないと、毎日森を歩きながら実感している。鳥たちは、食べるものがなくなって、あるいは毒物が体内に蓄積して、ある時を境に激減していくのではないか?
ところで、5月22日の朝日歌壇に載った短歌。
東北のこっちの方から兵士らと米と娘と電気送りし(南相馬市 斎藤 杏)
まことにその通り。「娘」の意味は言わずもがなですね。そこで提案です。東京に少女像を設置してはどうでしょうか?「東北の娘像」と「沖縄の娘像」、差別を象徴するものとして……。