虫嫌いが当たり前という時代ですから、こんな写真は顰蹙ものかもしれませんね。でもぼくにとってはなつかしいものです。これはアオスジアゲハの幼虫で、卵から孵化してまだ数日、数ミリメートルほどのものです。
よく知られたナミアゲハやキアゲハ、クロアゲハなどの幼虫は、最初黒と白、あるいは茶と白の、鳥の糞のような姿をしているのですが、アオスジときたら、色は半透明な芋羊羹、小さいくせに胸が分厚く黒い6本の角を持つ堂々たる姿です。ぼくは、姿がアメリカバイソンに似ていると思うのですが。
蛹になる前の終齢の幼虫になると、角は消え、明るい緑色になり、胸に白い帯が一筋現れます。
務めていた中学校の掃除の時間、ぼくは外まわりの監督を受け持っていたのですが、若いクスノキにアオスジアゲハが飛んで来たのです。赤みを帯びた若葉のまわりを飛んでいるので、学年主任だった理科の先輩教師に、「卵を産んでいるんですか。」と尋ねました。彼の専門は昆虫で、飛んでいる蝶を見て種類から春型、夏型、オスメスまで言い当てる達人だったからです。
続けて、アオスジアゲハは子どものころには垂涎の的だったというような話をしました。ぼくたちのテリトリー、焼け跡の原っぱにはまずアオスジはやって来ないし、寺やお屋敷の樹木に来ても、届かないほど高いところを飛ぶのを指をくわえて見ていたものだと。
「あれを飼って羽化させればアオスジが手に入りますね。でも飼育は難しそうだ」と言ったら、彼は「なに、簡単ですよ」と言いながら、卵のついた枝を折り取り、「やってみますか?」と言いながら一つを渡してくれたのです。
職員室に戻ると、深いシャーレを一つ貸してくれて、底にティッシュを敷いて湿らせ、そこに枝を入れておけば、簡単に飼えますよ」と教えてくれました。
なるほど、まもなく卵から紙魚に似た姿の小虫が孵り、クスノキの葉を食べてすくすくと育ちました。手間はティッシュとクスノキの葉を取り替えるだけ。いよいよ蛹になりそうな休眠に入った時、割り箸を折って立てかけてやり、蛹の足場にしてやりましたが。
同僚には、虫の苦手な人もいますから、多少嫌がられもしましたが、ぼくの机の周囲にはクスノキの葉から樟脳のにおいがただよい、「これが苦手なのは、自分が害虫なのかもしれませんよ」なんて憎まれ口をきいたりしていました。
実は当時のぼくは、管理教育に批判的な危険人物と見られ、報復人事的に担任を外され、図書館担当を命じられていたのでした。ぼくも、それならというわけで、授業以外は図書館の研究室に引きこもるような日々を送っていたのです。
そんなときに、主義、主張に関係なく、虫や自然が好きな一人の人間として偏見を持たずに接してくれた数少ない1人がその理科の教師だったのです。
そんなわけでアオスジの幼虫との再会には、ちょっとした思い入れがあるわけです。
ちなみに、庄内地方ではクスノキは見たことがありません。気候的に不向きなのでしょう。そのかわりアオスジは、同じクスノキ科のタブノキに産卵します。タブノキは酒田に多く、大火の時に延焼を防いだとされ、酒田市の木ということになっています。つまり、酒田では夏になると多くのアオスジアゲハに出会えるわけです。