茂みでセミの悲鳴。見に行くと、キリギリスがセミを捕まえたところだった。
このキリギリスはたぶんクビキリギス。俗にいう「クビキリバッタ」だ。悪童がこの虫に服などを噛ませ、いきなりぐいと虫の体を引っ張る。すると首だけ抜けて服に残ってしまう。それを勲章のようにくっつけて歩くのだと、経験はないがなにかの本に書いてあったっけ。きっと学者が、バッタじゃないよキリギリスだと、もとの名前を訂正して正式和名にしたのだろう。
ところで昨日の日曜日、山下達郎のFM放送の番組で読まれた男性リスナーの便りがゴキブリの話題だった。苦手なゴキブリを自分で退治できるようになって、やっと大人になったと思ったと。
昔、午前様で帰ってきた娘に、玄関にゴキブリがいるから退治してと叩き起こされたことを思い出してしまった。いくらつっぱっても、まだまだ子どもだなと思ったものだ。
それにしても、男が虫嫌いを堂々と公言することが普通になってしまったのを、嘆かわしく思うのは年をとった証拠だろうか? 昔、新卒教員(女性)が、教卓にゴキブリの死骸を置かれた。生徒というものは、新しい教員を試そうとするものだ。あるものはわざとぶつかり、あるものはいたずらを仕掛ける。
キャーッといって職員室に逃げ帰る新卒もいるけれど、彼女は違った。
「バカにしないで。ゴキブリがこわくて家庭科が教えられますか!」と啖呵を切ったものだ。そして平然とティッシュを出して死骸を包み、ゴミ箱にポイ。どうだ!近ごろのへなちょこ男子。(後で、『実はゴキブリは得意じゃないんです。』とこっそり教えてくれたが。その後、家庭科室にヘビがいたと言って職員室に飛び込んできた。『先生方の中で、ヘビが平気な方はいらっしゃいますか?』と。その時も生徒の前では平然として、『みんな動かないでじっとしていなさい。今助けを呼んで来ますからね』と落ち着いた様子で歩き出し、廊下の角を曲がってから走りだしたそうな。あっぱれ!
彼女の武勇伝は続く。学校が荒れて、つっぱりどもが職員に食ってかかった時、最初につかつかとワルに歩み寄り、『◯◯くん、もうやめて』とその場を静めてしまったのも彼女。因みにフェリス女学院の卒業生である。フェリスもただのお嬢様学校ではなさそうだ。)
それにしても、酒田に転居してから一度もゴキブリを見ない。新築だからかと思ったが、もう筑後10年になるわけだし、ヤモリは時々見かける。ゴキブリに嫌われるほど超清潔な暮らしをしているわけでもない。酒田にはゴキブリはいないのか?
どこかにも書いたけれど、人に聞いても曖昧な返事しか返ってこない。「いるんでないかの?」で終わり。少なくとも具体的な話になることがなかった。なにか、ゴキブリの話題はタブー?みたいな雰囲気があって、それ以上聞けないで今日に至っている。
酒田というところは、様々な生き物の北限らしい。たとえばヤモリ。たとえばタブノキ。だからゴキブリ(家に棲む種類)も酒田には棲息しないのかもしれない。
ところが先日、ゴキブリを見かけたのだ、森の中で。少なくとも原始のままに暮らすゴキブリは生息しているらしい。森で見るゴキブリはさほど気味悪く見えないのは不思議だ。
ゴキブリの名前の由来は、「御器かぶり=食器をかじる」という関西語からきているそうだ。昔、東京ではアブラムシと言っていたけど、そのほうが気味悪さが少ない気もする。
〽アブラムシ、手足を取ったらカキノタネ(逆も可)
トンガラシ、翅をつけたらアカトンボ(同上)
(アドリブ可)
学生時代、あのねのねがデビューする前に、ぼくたちはコンパ(当時は飲み会などを意味した。)でこの歌を叫んでいた。男だけのサークル(男声合唱団)なので、必ず春歌が飛び出し、ぼくはこれがいやでたまらなかったのだが、これは聞き手に期待させながらシモネタに落ちないハラハラ感が受けたものだ。メロディーはなく、いわばラップ調という感じだった。そして、見よ。ゴキブリじゃ、この歌は成立しないのだ。
関西出身の清水国明がいくらオリジナルだと主張しても、「トンガラシ、アブラムシ」すべて東京弁だい、べらぼうめ。いばることはないか。