昔、モンゴルがソ連の間接的支配を脱した初の映画というのを、息子と見に行ったことがある。それは「民族の英雄、チンギス・ハーン」の伝記映画だった。英雄だから美化されて描いているはずなのに、その残虐さや血なまぐささに驚きもしたものだが、こんな一場面を覚えている。
万里の長城の南にあった金(ツングース族の国?)を攻撃した時のことだ。モンゴル軍が攻撃をかけ、金の軍を追撃すると、金は長城の門から退却してしまう。するとモンゴル軍は急に後ろを向いて逃げ出す。金は門を開いて追撃を始める。モンゴル側は振り向きざまに弓を射る。協力だが短い半月弓は、簡単に後ろに向かって射ることができるのだ。さらにモンゴルは何かを撒いて逃げてゆく。それがどうやら「まきびし」であるらしい。金の馬は次々に転び、モンゴル側は再攻撃に撃って出る。
モンゴルの「まきびし」は何でできていたのだろうか。「まきびし」といえば、日本では忍者の道具として有名だ。鉄製なのだが、初めは植物の菱の実を使っていたらしい。だから「撒き菱」なのだ。その菱の実がこれだ。
菱は水生植物で、本体は水面に浮かび、長い根を底に伸ばしている。
白い花を咲かせ、黒い実は葉の裏、つまり水中に育つ。この実には4つの角があり、先が鋭く尖っている。鉄製でなくても、本物の菱の実で充分に威力があると思うが、自然の収穫物だから数を揃えるのは大変だったかもしれない。
阿寒湖のマリモは、悲恋に終わった若者と娘の魂だというのは、観光業者が作った創作で、本当のアイヌ伝説では、湖に棲む菱に湖の神が退去を命じた。「お前たちが増えすぎて、わしゃトゲできずだらけだ。痛くてかなわん。」というわけだ。菱たちはトゲを立てて怒り、あたりにあった藻(アオミドロか?)をつかみ、丸めて神に投げつけて立ち去ったのだと。これは子どものころ読んだ石森延男の『コタンの口笛』にあった話だ。
菱のことをアイヌ語で「ペカンペ」という。俗語というか口語では「ベカンベ」ともいうのだが、濁音はアイヌ語では下品なのだ。「ペ=水 カ=上 ウン=ある ペ=もの」つまり「水に浮かぶもの」というのがペカンペの意味である。
写真は、萱野茂の著書の文庫版の表紙だが、衣服であるアツシの背中を写したものだ。背中(アイヌ歳時記と書かれたあたり)はエゾフクロウの目であるカムイシク(神の目)、下は裾模様だが、どちらにもチェーンステッチの刺繍が施されている。この刺繍をよく見てほしい。これはトゲ模様などといわれるのだが、菱の実を図案化したものである。衣服の袖口や襟、裾に必ずこの刺繍が施されるのは菱の実のトゲが魔除けになると信じられたからであるらしい。昔のアイヌ女性が口の周囲にいれた刺青も、同じ菱の実の形ではないだろうか。体に魔物が入らないように。
その菱の実は、アイヌの重要な食糧でもあったという。いまでも「ペカンペ祭り」という菱の実の収穫を感謝する祭りが行われている地区もある。いったいどんな味なのか?
鶴岡市の大山地区にあるラムサール条約登録の上池、下池にはこの菱がある。岸は打ち寄せられた菱の黒い殻で埋まっていて、水鳥たちがここで寝るのはさぞ辛かろうとおもうほどだ。去年、岸に降りて菱をかき寄せ、葉の裏を探ってみたら、一株に1~2個の実がついていた。この実を採集することが許されているのかどうか不明だが、数個なら許してほしいと思い、採集してみた。試食するために電子レンジで熱してみたら、見事にカチンコチンになって殻がわれなくなり、無理やりこじ開けて試食するも、実も石のように硬くなってしまった。
今年、リベンジに挑戦。メタン臭い泥を落として電子レンジでなく鍋で数分ゆでてみた。これなら、温かいうちなら殻が手でもむける。(先にトゲは切り落としたほうがよい。そのトゲを落としたりしないこと。後で大ごとになる。)食べてみると、うまい! ツルンとした食感で、ほんのり甘い。これなら食材として充分通用する。池があればいくらでも採集できそうだ。農業用ため池の多い庄内地方で、伝統作物として売り出したらどうかと思ったほどだ。
4個採取してゆで、2個だけ試食して、残りは翌日の楽しみに取っておいた。しかし、翌日には殻は再び石のように固くなり、無理にこじ開けた実は、機能よりホクホクして栗の実のようになっていた。