そんな敬語はむしろやめてくれないかな
A「会場にはすでにたくさんのドローンが待機されています。」 B「ここにあるものはすべて廃棄されたものを再利用されたものです。」
これは、実際にテレビやラジオでアナウンサーやタレントが発した言葉です。 中学、高校の現代文法では、助動詞「れる・られる」には「受け身」「尊敬」「可能」「自発」の意味があると教えます。ちなみに「自発」とは「息子の行く末が案じられる」のように、「そうしようと思うわけではないのに、自然にそうしてしまう」という意味だと説明します。 2つの例文は、このうち「受け身」なのか「尊敬」なのかがわかりにくい例ですね。 Aは、受け身ならば「待機させられています」でなければおかしいし、ドローンを主語とする尊敬はありえません。 Bは、話し手の意図としては、前者が受け身で、後者が尊敬なのでしょうか。ここでは廃棄物が再生された生まれ変わった品々が紹介されていましたから。それらを再生させた企業を擬人化して尊敬語を使ったと考えられます。それとも両方受け身でしょうか。それなら「廃棄されたものが再利用された」でなければおかしいですね。
もとは九州地方の方言的な表現だったかもしれない尊敬語「れる・られる」の多用が広まり、「お~になる」「お~なさる」という尊敬表現や、「召し上がる」「おいでになる」などの、尊敬に特化した動詞が使われなくなっています。 「ここの名物、もう食べられましたか」と言われても、もう違和感を抱く人は少ないのかもしれません。でも尊敬表現と言われても、尊敬の気持ちなど少しも感じないのはぼくだけでしょうか?平等で民主的な社会での「敬語」は地位や身分の上下ではなく、相手を尊重する気持ちやいたわりの気持ちの表現だと思います。それを感じさせない機械的でマニュアル的な敬語を、ぼくは「とりあえず敬語」と呼んでいるのですが、心が感じられないそんな敬語は、むしろやめる方向で検討されてもらってだいじょうぶです。 因みに、国会中継などを見る限り、政治家たちの日本語もデタラメですね。「美しい日本」を強調されるあの人も、心のこもらない無内容な日本語を話されます。「美しい日本」には「美しい日本語」は含まれていないようですね。
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