未来からの警告 オール電化社会の不安
スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんの国連での訴えに対して、ネット上では否定的な反響が多いのだという。いわゆる「炎上」は、それだけ衝撃が強いからだと肯定的に受け止めるべきなのだろう。ぼくもかつて、自分の妻を「ヨメ」と言う人が多いので批判的な投書をしたことが「炎上」したと週刊誌に書かれたうえ、テレビのワイドショーのネタにされたことがあった。(妻をなんと呼ぶかくらい好きにさせてほしいというのが、番組のまとめだった。)「嫁」は単なる妻ではなく、家制度における立場を表すことばだから、家長が「うちの嫁」と言えば、自分の妻ではなく、跡取り息子の妻を意味する。ぼくたちの世代は、否定すべき封建時代、家長制度時代を払拭すべく、このような言葉を使わないように教えられ実践もしてきたので、批判されるいわれはない。いやむしろ「まっとうな議論を起こすのなら批判も歓迎すべきだ」くらいに受け止めておきたい。ただし、議論は実名で行いたいが。 さて、トゥーンベリさんの主張は、大人たち=世界の指導的立場にある人が、地球温暖化に対して危機感をもって対処せず、若い人や生まれてもいない未来人に、無責任につけをまわすことへの怒りである。 彼女の主張は全面的に正しい。昨今の気候を見るがいい。経験したことのない豪雨、経験したことのない強風……。未経験の、災害級の事象が日常的に起こる異常さ。私たちは漠然とした恐怖を感じ始めている。恐ろしいものは見たくないし、聞きたくない。なかったことにしたい。言霊の幸わうこの国では、とりわけこの心理が強く働くのだろう。 困ったことに、国を動かす指導者層、政治家や国家公務員がこの言霊病にとりつかれてしまっているらしいのだ。 先日の千葉の大停電が、人の暮らしにどれほどの影響を与えたのか、その教訓さえくみ取ろうとしていないように思える。エアコンが使えないので、熱中症で亡くなった人が続出した。通信が途絶えた。水道が止まった。トイレが使えない。キャッシュカードが使えない。ガソリンが給油できない。 しかし、言霊病というには、このところの政府や御用マスコミの沈黙は異常なほどだ。大きな問題にしたくないのはなのはなぜだろう。 昨日9月30日、あるラジオ番組は、キャッシュレスについて特集していたのだが、これがまるで政府広報番組。消費税が上がることを契機にキャッシュレス化を進めたい意図が見え見えなのだ。「私は断然現金派」と息巻いていた番組パートナーの芸人が、最後に「私もキャッシュレスを始めようと思う」なんて、あきれるほど台本通りの展開。 消費増税で消費が冷え込まないように、また駆け込み消費を期待したいがゆえの、意図的な被災地無視なのだろうか。 ある人が、震災よりもずっと前に言っていたことを思い出した。彼は右の論客だが、時々鋭い指摘をする。先述 の言霊についても彼の受け売りなのだが、言霊が生きているこの国では、予想は予言につながるので、悪い予想を避けたがる。それがたとえば原発の安全神話になったのだと。事故を想定すると実際に事故が起こるかもしれない、だから「縁起の悪い」予測はしないほうがいいという心理が働いてしまうのだと。 王様は裸だ。電気に頼りすぎる社会は脆弱だと叫んでも、子どものたわごととばかり無視するのだろう。 不都合な真実と向き合う勇気のない大人は、だから不都合な未来を見ない。「いいじゃないの、今が良けりゃ。オール電化すてき。キャッシュレスって便利。買い物で人と会話するなんて、面倒で無駄。会話したけりゃAIがあるわ。孤立社会、無縁社会?そのどこが悪いっていうの?」 How dare you! 千葉の大停電は、未来からの私たちへの警鐘だと思いたい。真剣に考えないなら許さない!
|