フランシスコ教皇来日で考えたたわいもないこと
横浜で暮らしていたある日のこと、電車に乗っていた2人の外国人が会話していました。英語だとはわかるのですが、当然内容はさっぱりわかりません。しかし、彼らが英語のネイティブではないとわかるくらい、はっきりとした訛りがありました。当時は「日系」南米人がたくさん働きに来ていたし、Rの発音が巻き舌だったりして、南米の人なのだろうと推測しました。それならスペイン語で話せばいいのに、いやきっとどちらかの人がブラジルの人で、ポルトガル語を話すブラジル人とは話が通じないのだろうと思ったのでした。
その後、アルゼンチンの子を担任したことがあります。彼女はかなりビッグマウスだったので、話の真偽は定かではないのですが、「私はポルトガル語もイタリア語もわかるよ。フランス語だって、大まかな内容ぐらいはわかるよ。方言の違いくらいしかないんだから。」と言うのです。
どちらが本当なのでしょうか? ブエノスディアス、ボンジーヤ、ボンジュール、ブォンジョルノ、なるほど、「こんにちは」はよく似ていますね。似てない? 前半は「良い」という意味の言葉、後半はdayを表す言葉です。分けると似ているでしょう? 方言の違いとは言い得て妙と言うべきか?
こんなことを思い出したのは、フランシスコ教皇が日本滞在中は、母国語のスペイン語でスピーチをしていたのに、帰りの機中で記者を前に語った言葉はイタリア語だったからです。(もちろんどちらの言葉もぼくには理解できませんが、歌を歌う人間としては、特徴の違いくらいはわかります。 原発に触れる発言では、エネルギーのギを日本国内ではヒ、機内ではジと発音したように聞こえました。もちろん違いはそれだけではありません。教皇のスペイン語には、敬愛するフォルクローレ歌手、メルセデス・ソーサの発音と共通する特徴がありました。アルゼンチン訛りなのでしょう。) ところで、南米の子は、隣国の人が話すスペイン語を「訛っていて汚い」なんて馬鹿にしたり、コロンビアの子は、「コロンビアはコロンブスが上陸したところで、私たちのスペイン語こそ本国と同じ正しいスペイン語なんだ」などと言っていました。同じ国の中なら、互いの方言をバカにすることはタブーですが、国が違うと言いたい放題、むしろ愛国心の表れということになるのかなあなんて考えさせられました。
ところでバチカンの共通語は何でしょうか? ラテン語? イタリア語? 警備しているスイス傭兵隊は何語を使うの?
それにしても、戦争と核兵器について、そして原発についての教皇の発言は、ぼくにはごく当たり前のことに聞こえます。それなのにドキリとするほど、今の日本には言いにくい空気がある。当たり前のことを言うのに勇気が要るとは、日本はそこまで危なくなっていることを改めて実感した教皇来日でした。
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