「エモい」への苦言 続き
「サウダージ」という言葉があります(註)。ボサノバの歌詞にもよく出てくるブラジルの言葉です。 気になって、日系ブラジル人のヒガさんという女の子に意味を尋ねると、「郷愁とか、寂しさとか? 日本語には直訳できないなあ。でも大切な言葉だよ。」ということでした。取りもどすことができないというニュアンスを含むようで、喪失感を伴う郷愁や寂しさ、失った愛などの意味があるらしいのです。どこの言葉も、外国語には翻訳できない深い意味のある言葉があるものですね。日本語にだって、それはあるでしょう。 自然を大切にとか、文化を大切にと言われても、否定する人はいないのに、言葉を大切にしないのは納得がいかないなあと思う今日この頃です。特に、地方都市に住んでみると、いわゆる方言は風前の灯です。 NHK山形放送局が、金曜日の昼過ぎに放送するラジオ番組「なにしったのやー」が、山形県以外でも密かな人気になっているようですが、ひとえに方言丸出しの番組だからでしょう。しかし、そんな番組があることや、それが人気になることは、裏返せば方言が絶滅の危機に瀕しているからともいえます。 先日も書きましたが、今どきの東北の子どもは、東京の子どもより美しいヒョージュンゴを話すけれど、祖父母とはコミュニケーションがとれないらしいのです。10年前(私たちが酒田に移住したころ)の高校生は、同性の友だちにはギャル語、異性の同級生には上品な標準語、家族とは方言というふうに使いわけていたのですが。今、高校生が友だちとおしゃべりする姿は珍しくなってしまいました。駐車場で家族の送迎車を待っている生徒はみな、うつむいてスマホをみつめています。 さて、先日もぼやいた某ラジオ番組のお便りテーマ「エモい」は、まだ続いています。 今朝、こんな主旨のお便りがありました。「30代で看護学校に入学したけれど、オンライン授業が続いています。友だちもできず心がまいってしまいそうですが、一人の上級生が新入生全員にメールを送ってくれました。それには『在校生の私たちもたいへんなのだから、新入生のみなさんはさぞつらいでしょうね。困ったことがあったら相談してくださいね。』とありました。こんなことが、エモいということでしょうか?」 うわあ、せっかくいい話なのに、なんていうオチをつけるんだ。あなたの中の、言葉に表現できない複雑な気持ちを、エモいなんていう一言でかたづけちゃダメでしょ。それを認めてしまうアナウンサーも人生の先輩にあたるはがき職人の面々も退場! 言葉を大事にしないということは、文化を貶めるのと同じことです。もちろん平気でうそをついて責任を取らない政治家だって、言葉を貶めることになると思うのですがね。 この番組で、エモいをありがたがる中高年は、『裸の王様』で、裸でパレードをする王様をほめそやす愚かな国民と重なって見えます。中身のスカスカな言葉を使って若者ぶるのは、醜いことだと思えてしかたがないのですが。
(註)saudadeと書くのですが、ポルトガルではサウダーデと発音し、ブラジルではサウダージとなるようです。ブラジル人が発音する語尾の「ジ」は、なんともいえない美しい響きです。
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