山道や森の小道を歩いている時、どこかでオカリナのような土笛をふくような音が聞こえてくることはありませんか。もしあれば、それがアオバトの声です。「オーーーアーーーオーーー」というふうに。オは低い音、アは高い音です。でも、キジバト(ヤマバト)のように姿を見せることはほとんどなく、ぼくも見たことはありませんでした。
先日の朝、いつものようにカメラを持って森を散歩していると、時々会うやはりリスを狙って森に来る人が、リスに出会うポイントの一つにいて、カメラを上に向けて構えています。邪魔しないようにルートを変えようと思ったら、彼が手招きします。そっと近づくと、「アオバトがいます」とささやきました。目を凝らすと、なるほどクルミの大木に鳥の姿。カメラで狙うと、若草色のハトでした。初めて見ました。
ところで、ふつうアオバトは緑色なのでアオバトというのだと言います。昔の日本語では青色と緑色は区別しなかったので、緑を青と言うことが多かったので。青々と茂る、青草、など、たしかに緑を青と言いますね。
そこでブルーを強調したいときは、はわざわざ瑠璃と呼んで、緑色と区別します。鳥のオオルリ、コルリ、昆虫のルリタテハ、ルリボシカミキリなど。
しかし緑色だからアオバトだというのは、ぼくはあやしいと思っています。チコちゃんが知ってるかどうかわかりませんが、クサガメ、クサカゲロウの名は草色、つまり緑色だからではなく、匂いが臭いからです。
古代日本人は鳥や蝶を死者の魂だと考え、恐れていたと言います。それに暮らしの中で声を聞く以外には野鳥にかかわりを持つことはほとんどなかったでしょう。現代でも、バードウォッチャー以外、鳥の姿に関心を持つ人は少ないのですから。人前に姿を見せないアオバトは、鳥らしくない変わった声という以外、人に注目されることはなかったのではないでしょうか。
詩人の丸山薫が、戦時中、山形県の岩根沢(現西川町)に疎開していたころ、山奥に住む老婆が「山にはオアオドリがいて、オアオ、オアオと鳴くんだ」と言ったと書いています。オアオと鳴くからオアオドリだと。この老婆もその姿は見たことがなく、鳴き声で知っている鳥なのでしょう。「オアオ」と鳴く、これこそアオバトではないでしょうか。せめて諸説の一つに加えてほしいものです。
思い出しました。今、森には山から降りてきたウグイスがたくさんいます。周囲の藪の中に数羽の声がすることも。でもだれも気がつきません。ウグイスはホーホケキョと鳴かなければ気づかれない褐色の地味な鳥で、なかなか姿を見せません。それに決してウグイス色ではありません。舌打ちするような鋭い「チャッチャ」という声はウグイスですが、ウグイス色の鳥がいたら、それはたぶんメジロです。