リスの観察を始めて10年以上。初めてリスが木から落ちるのを見ました。クルミの木の高いところで、1匹が軽々と枝移りしていたのですが、ざわざわと揺れていたクルミの葉が、葉柄ごとまとまって落ちてきました。それが地面に届いたと思ったら、何かがもぞもぞ動いてコソコソっと藪に走り込みました。落ちてきたのはリスだったのです。枝に跳び移ったつもりが葉柄で、ポロリとリスごと落葉したという次第のようです。けがはしなかったようですが、恥ずかしかったようです。
この写真のリスは、食事しながらそれを横目で見ていたのですが、食べ終わると、落ちたリスがまた木に登ったところに駆け寄ってなかよく遊んでいたので、まあよかった。
次の写真は、枯れ木の樹皮を大量にくわえているリスです。冬にそなえて巣の中に敷いて暖かくするのでしょう。冬はすぐそこです。
ところで、最近思ったこと。
コロナの影響でここ2年中止になったけれども、酒田市の「希望ホール」では、毎年「酒田・飽海地区合唱フェスティバル」が開催されてきた。庄内地方の最上川以北が飽海(あくみ)郡である。合併によって酒田市以外の町村は遊佐町だけになってしまったのだから、「酒田市・遊佐町合唱フェス」でもよさそうなものだが。
毎回、各団が輪番持ち回りでステマネなどを受け持つことになっているらしい。最近のある時、我々が担当になり、ぼくはドアマン(ドアパーソン?)を担当することになった。開演を合図にドアを閉めたり、遅れてきた客に待ってもらい、きりのよいときにドアを開けたりする役目である。
ぼくがついたドアは、ステージに近いところで、ホール入り口からの廊下が見渡せた。
そこで気づいてしまったことがある。それは年齢にもよるのだろうが、お客さんに歩行困難な人が多いということだ。杖が必要な人、それも2本とか、壁に手をつかないと歩けない人とか、極端なO脚の人とか。あまりに辛そうなので入り口に置かれている車椅子を取りに走ったこともあったほどだ。あしだけではない、背中が大きく曲がった高齢者も多い。
たぶん、それはこの地方の気候と大きな関係があるのだろう。雪が降り続く冬の間、人は室内にこもらざるを得ない。それがここでは普通の暮らしなのだ。特に日光が取り込めない昔風の家屋に閉じこもっていたら、全く光を浴びることなく毎日を過ごすことになる。
ビタミンの知識もなかったであろう昔は食生活も偏り、紫外線も浴びず、骨の発育不全になりやすかったのではないだろうか。
そういえば、合唱団の練習でも、メンバーが寒がりなのに驚く。暖房の温度設定を25℃に上げ、大汗をかいても平然としている。夏には逆に寒いからと設定を高くするのだ。
ぼくが育った東京など関東平野では、晴れた日には冬でも子どもは外に追い出されたものだ。「子どもは風の子。とっとと遊んで来な!」なんて。
毎朝あった学校の朝礼で、霜解けのぐちゃぐちゃな校庭に並んで洟をすすっていると、教頭先生が「体が温まる方法」なるものを伝授してくれた。「下っ腹にぐっと力をいれてごらん。ほら、だんだんあったまってくるだろう?これ覚えておくといいよ。」役にも立たない話をだらだらしゃべるのが校長。道徳でも哲学でもなく、細かいけれど、後になって結構役に立つことを教えてくれるのが教頭なのかなあ?
おかげで、今でも寒さを感じると下っ腹に力が入る。条件反射ってやつだ。教頭先生とパブロフの犬に感謝!
でも、雪に閉ざされた家の中で、こたつにこもってぬくぬくと育ってしまった雪国の年寄りにこの話をしても、奇妙な笑顔が帰ってくるだけなのが寂しい。
雪国どころの話ではないのかも。今では全国的に子どもが家にいるほうが安心だし、ゲームの健康被害に無頓着、紫外線を敵視する風潮が描く未来図は?