冬の間、酒田のカラスは集団で松林などに集まって夜を過ごす。ハシブトガラス、ハシボソガラス、大陸から渡ってくるミヤマガラスや少数のコクマルガラスなどが、完全に入り混じるわけではないようだが、争うこともなく、隣り合っているようだ。
春になると、カップルのカラスは集団を抜け、繁殖のためになわばりを持つ。生まれた雛は親の手を離れると、若者だけの群れに入り、繁殖年齢になるまで集団で活動するようになる。カラスとしての生き方や群れの決まりごとはここで学ぶのだろう。カップルの相手もここで見つけるようだ。というのも、若者集団(ギャング団と呼んでもよさそうだ。)の中でもカップルで行動しているカラスをよく見かける。
昼間、ハシブトは森や街で、ハシボソは田畑で食べものを探す。
と、ここまではよく知られているカラスの生態なのだが、散歩でよく見かけるカラスは、教科書通りに暮らしているわけでもなさそうだ。
以前、鳥海山8合目の、つまり標高2000mあたりで鳥海湖という火口湖を眺めながら休憩していたら、カラスのカップルが飛んできた。ふだん見慣れているので「ああ、カラスか」と思ったのだが、よく考えると、こんな高いところまで何をしにきたのだろうかと疑問がわいた。彼らはしばらく上空を飛んだりしていたが、やがて降りてくると、近くの岩にとまってのんびりと湖面を見下ろしている。ときどきくちばしでやさしくつつきあったりいちゃいちゃしたり。食べものを探しに来たとは思えない。カラスが喜んで食べるようなものが簡単に手に入るとは思えない。どう見ても、彼らはちょっとしたハイキングを楽しんでいるようにしか見えないのだった。カラスの姿をした若者にしか。カラスには、食う寝る以外に、仲の良い相手といっしょに遊んだり、旅を楽しんだりするような精神生活があるのではないかと思えた。
朝の散歩には、最近は車で森の入り口まで行くのだが、その途中に、一組のカップルの縄張りがある。このハシボソは、団地の屋上や電線や、松の木の枝にとまっていたり、歩道にいたり、時々横断歩道をチョコチョコと渡ったりする。お気に入りのゴミ捨て場もある。
春の中ごろになると1羽しか姿が見えなくなり、それが高いところにじっととまっているので、おそらくそれが雄で、どこかに巣があり、雌はそこに籠って産卵し、雄が見張っているのだろう。ところが、そのうちにまた2羽にもどってしまった。子どもの姿がないのは、繁殖に失敗したのだろうか。
その後、このカップルは毎年同じところに現れるが、巣ごもりの様子は全くなくなってしまった。
森にも、いつも2羽で行動しているカップルがいる。繁殖という本能に従うことより、遊びや楽しみを選んだように見える。もとよりカラスは明日を思い煩うわけではない。とりあえず必要な食べ物が腹に入れば、あとはやりたいことをやっているだけだ。アリとキリギリスにたとえれば、カラスはキリギリス型の生き方をする。子孫を残すかどうかも、人生?の選択肢に入っているのだろう。
うまく割れたかな?
有名なクルミ割りの行動も、クルミを割らなきゃ生きていけないというのではなく、遊びとして楽しんでいるのだと思う。森の駐車場でも、1組のカラスがクルミを割っている。このカラスは、車の前に置いて車に割ってもらうのではなく、自分で高いところから落として割るという方法を楽しんでいる。森に行ってクルミを見つけ、くちばしでくわえて飛び上がって落とす。それを追って舞い降り、中の実をついばむのである。一度で成功することはまれで、何度も何度も挑戦する。手元が狂えば車の屋根に落ちるから、駐車する人は気が気ではないのだが、カラスにとってはそれもスリルのうちなのだろう。
しかしよく見ていると、1羽は(雌?)見ているだけだ。クルミが落ちたところにはいそいそと飛んでいく。うまく割れていると「ガア」と鳴いておねだりをするのだが、無視される。「ああそうなの。くれる気ないのね」と、そのカラスは呆れて武道館の屋根に上がってしまう。
最近、このカップルは1羽しかいなくなってしまった。ついに別れてしまったのか?別れはしないが、「私にもやりたいことがありますから」と言うので別行動になったのか。
カラスはフクロウやノスリを目の敵にして追い回し、せっかくのシャッターチャンスをぶち壊してしまうので、恨みもあるのだが、それでも見ていて見飽きないし、人生まで考えさせてくれる鳥類なのである。