子どものころ住んでいた家には庭もなく、遊んでいた原っぱは空襲の焼け跡で、図鑑に載っていないような外来の雑草ばかり。
絵本や教科書の挿絵の花に強いあこがれを持っていました。
梅の花を見たのは、高校生のころ、裏道を登校するときにとある家の庭からただよっていた梅ガムのような匂いでわかりました。
スミレは、よく遊びに行った明治神宮の立ち入り禁止の森です。怖い管理員に隠れながら、アメリカ先住民やスカウトになったつもりで、足音をさせないように林床を歩いたものです。その森の陽だまりに咲いていた青いスミレ。本で見たのとは違い、一つの茎に葉と花がついていました。ふつうスミレは葉が1枚ずつ根から出てきているように見えるし、花も専用の葉柄があります。ぼくが見た枝分かれするスミレは、タチツボスミレという種類らしく、スミレとしては少数派だったのです。
植物採集に夢中になったのは、身近に植物がないからで、宿泊行事として行った軽井沢でも、修学旅行の日光でも、山の植物を採ってきて標本にしたものです。(花と根がないと標本としての価値が下がるなどと言われました。)
牧野富太郎がモデルの朝ドラ「らんまん」は、恐れ多いことながらどこか他人ごとと思えない。ただ、ぼくの場合、集中が続かないので標本にすると終わり、名前を調べるまではいかないし、調べ方もわからない、わかろうとする努力もしなかったというところです。それに、好きなことが複数あって、今熱中していることに醒めて別のことに夢中になるというのは、ADHDの特徴の一つかもしれません。趣味がたくさんあると言われるのは、そのためです。
ぼくは絵を描く、歌う(移調譜をつくることも)、詩(読むこと、作ること)、昆虫、植物などが興味の対象でした。まあ原動力は強い好奇心なのですが。
そのうち絵は、写生やスケッチには自信があるのに、表現したいテーマがないことに気がつき、高校で選択せず離れてしまいました。
今でも毎日森を歩いていて飽きることがないのは、あのころ明治神宮の森を歩いたのと同じ好奇心に駆られるからかもしれません。特に野鳥やリスたちが、今日は見られるか、どんなポーズ、表情を見せてくれるかという期待で、毎日が新鮮です。
さて、今日は森で見つけた春の花たちです。森の黒松には松枯れ病が蔓延し、たくさん伐られてしまいましたが、日当たりがよくなって以前より花が多く咲くようになった気がします。
アオイスミレ
チゴユリ
ムラサキケマン
カラスノエンドウ
キウリグサ
キウリグサってなんて残念な名前だろうと思います。そもそも動植物の種名には、命名した学者の性格などが反映されるのか、どうかと思うものが多くあります。もともとあった名前をそのまま登録したものもあるのかもしれませんが。
このキウリグってワスレナグサにそっくりです。それもそのはず、同じムラサキ科の花です。でも、道端に生えていて、花があまりに小さく、見過ごされてしまいます。こんなにかわいいのに。