物知りと言われる理由
一言で言うと、発達障害かもしれないということかな。担当したADHDの子が、自分にそっくりなので驚いたことがあります。強い好奇心の一方、長く集中できない。一つのことに集中すると、次のことが気になり始めるなど。首領時代の名残りなのか、睡眠中も脳が活発に活動して熟睡しないなど。でも、好奇心は今でもなくならないので、毎日飽きることがありません。 でも「それを言っちゃあおしまい」かもしれないので、自分なりにふりかえってみると……
生き物が好きだということは、すでにお話しした通りです。遺伝か環境(成育歴)か、それとも偶然なのかわかりませんが、家には庭がなく、その家がある町も空襲の焼け跡で何もない。好きなのに、好きなものが周囲にないという「心の飢え」のようなものがあったのだと思います。ぼくの出生地の福島の人々にとって、様々な生き物と大家族が共に暮らすのはごくふつうのことで、3.11の原発事故のように、そんな環境に生きられなくなると、心の辛さをかんじるらしい。 そんなDNAを持っているのかもしれないぼくにとって、原っぱはそんな「飢え」を満たす場所で、大切な居場所だったのでしょう。小学校になじめなかったのは、整備された校庭に生き物の姿がなかったから。学校は楽しくない、それははっきり覚えています。 みんなの遊びに入れず、校庭の片隅でアリを見つめ、授業では窓から聞こえるモズの声が気になる。 でも大好きな原っぱも、生き物の種類や数は限られています。なにしろ空襲前は工場だったそうですから。級友が夏休みの宿題として持ってくる昆虫標本のなんと豊富なこと。ミンミンゼミ、タマムシ、オニヤンマ、アオスジアゲハ……。原っぱにはいないものばかり。 読書もそうですが、自分は級友たちに追いついていないという強迫観念のようなものがありました。母が小言を言うとき、いつもよその子と比較したことも影響したかもしれません。「みんな自分よりすぐれている。どうせぼくはダメなやつ」と。 自分の周りにはなにもない。自分が知っていることは少ない。読んだ本も少ない。恐ろしいもので、その劣等感は今でも消えません。 連れ合いは「物知りと言ってもお金になることは何もない。どうでもいいことばかり。」と冷やかします。その通りだと思います。 それと、国語の教員だったことも「物知り」の後押しをしました。国語の教科書は様々な分野の文章が教材として載っているわけで、列車ダイヤのことや、地図から土地の歴史を考察することや、それこそ知らなくても困らないことが盛りだくさん。しかも教科書が改訂されれば内容は一変します。学ぶ側の子どもは、その文章によって読解力を育むわけですが、教員側は毎年同じ文章を読ませることで、内容が身についてしまうわけです。ですから国語科の教員は広く浅い物知りになりがちなわけですね。
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