給特法が改悪されるらしい?
給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)が成立した1971年、ぼくは新卒の新米教員でしたが、慣れない独り暮らしの寂しさもあり、大学時代に所属していたグリークラブ(男声合唱団)の練習にしばしば顔を出していました。 そんなある日、キャンパスで教育科の後輩学生にばったり会いました。ぼくは国語科で、教育科とはほとんど接点がなかったのですが、前年までの全全学ストライキのころ、全共闘系の集会などで顔を合わせたりするくらいの知り合いでした。 中学校の教員になったと言うと、「じゃあ、給特法は知ってますよね。あれが国会を通るととんでもないことになります。現場でもがんばってください。」と、激励とも恫喝ともつかない挨拶をされたのでした。 童顔で小柄な体に似合わないヒゲ面の彼が、長髪をなびかせてさっそうと立ち去るのを見送りながら、髪を短くして毎日校内を走り回っている自分が少し恥ずかしく思いました。 給特法については、教員に公務員としての給与に4%を加える法律とだけ知っていて、教員を特別扱いすることが道徳的に問題がある法律だと思っていました。 実際には、教員に時間外手当を出さない代わりの4%で、その前提として教員には「特別な場合を除いて、時間外勤務を命じない」とされています。特別な場合というのは、職員会議などの会議、生徒指導上の突発的な事件、事故・処理、修学旅行などの宿泊を伴う行事の指導などです。 日教組傘下の組合も最終的に了承し、当時、現場では「なるべく」超勤をしないようにというようなスローガンが小声で囁かれたものです。これによって、家でできる仕事は持ち帰るなどして、風呂敷残業などと呼ばれる「見えない超勤」が増えていったのかもしれません。 (因みに、今ではテスト問題は公文書、生徒の解答用紙や作文、絵などは個人情報なので、学校からの持ち出しは禁止です。深夜まで職場に残らざるを得ず、教員の家庭はしばしば崩壊します。) 残業代が出ないということは、現場も勤務時間に無神経になりがちで、会議も部活も初めから時間外を前提に成り立っているようなものです。 そこに、文科省などによる上からの教育改革がもたらした多忙化……校内暴力、いじめ、電算処理、地域に開かれた学校作り、その反対のセキュリティ対策etc. かつて超勤の埋め合わせ的な性格が強かった夏休みの名目的な研修さえ許されなくなりました。今では研修は場所と内容を事前に届け、報告書を提出しなければならないとされ、一部の教員はすることもないまま生徒のいない職場に出勤して、夏の一日を過ごすという非生産的な抵抗を示すことも、いえぼくがそうでした。 「定額働かせ放題」。給特法体制下の学校現場を自嘲気味にそう呼ぶ教員もいます。4%はいらない、超近代が欲しいのです。財政が破綻するかもしれません。だから文科省も教育委員会も管理職も、超勤しなくてすむ職場を真剣に模索するだろうと思います。それなのに給特法はそのままに、4%をさらに倍増して教員離れを防ぐということになりそうです。 これではむしろ定時に帰宅しようとする教員は苦しくなるでしょう。「高い給料をもらっておいてもう帰るのか?」とか。超勤をなくそうという方向には働かないだろうことは、容易に想像できます。結局政治家は何も見えない、何も考えないのですね。
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