部活の顧問になるのは本人の自由裁量?
今朝(7月4日)の新聞に、くも膜下出血で亡くなった富山市の中学校教員の裁判の判決が、明日出されるとありました。中3の担任でソフトテニス部の顧問、学級懇談会の一日目を終えた翌日倒れたそうです。それまでの53日間に1日しか休みがとれていなかったといいます。 市側は、部活顧問は教員の自由裁量であり、市に責任はないと主張しているとのこと。 いやまことにその通り。部活の顧問になるかどうかは本人の自由意志です。事実、ぼくは最終面接(これは教委でなく、採用を希望する職場の校長が行います。)で指導できる部活を聞かれたので、合唱と柔道と答えたところ、合唱は現在熱心な人が指導しているから必要ないし、柔道部はないということでした。「他には?」と聞くので「思い当たらない」と答え、これで採用はダメかなと思ったのですが、なんとか採用されました。 そこでの分掌が発表されると、ぼくは部活の顧問から外れていました。以後「ずるいんじゃないか」などという陰口が聞こえてくることはあっても、面と向かって顧問になれと言われたことはありません。それでも、長い年月の間には、やむを得ない事情で引き受けたことも2~3度はありますが、管理職を含めて他人から強制されたことはありません。 それなのに、私より若い職員に聞くと、まるでそれが採用の条件であるかのように、〇〇部の顧問になってほしいなどと言われて、仕方なく引き受けた人がほとんどです。顧問は義務と思たとしても仕方ないことです。 ぼくは採用が1971年、大学闘争が終焉したころで、その当時の新卒は権利にうるさいと警戒されたことや、マンモス学校で、職員数も多かったので、一人一人が余り重要視されず、代わりも補充できたからだとわかっています。 異動したある学校では、生徒全員が部活に所属することが決まっているので、当然職員も全員が部活の顧問でなければならないなどという、きわめて理不尽なルールがありました。職員会議では多数決が乱用されて、このような理不尽が通ることもあるのです。それでバレー部の副顧問になったのに、暴力指導のうわさもある正顧問が無視してくれたので、何もしないですみ、部員さえぼくが顧問であることを知らずにいました。 部活の顧問でいちばん困るのが、一度引き受けるとやめられないことです。それに廃部にもできない。顧問だった教員が移動でいなくなり、他に指導できる教員がいないと言う場合でも、保護者が廃部させてくれません。子どもの楽しみであり、これまで熱心に打ち込んできたものをなくさないでというわけです。子どもの数が減り、学校の規模が小さくなっても、部をなくせないので、少ない職員が顧問をしなければならない。 学校の忙しさは部活のせいばかりではないのですが、顧問をしている人は指導と大会の引率を最優先し、自分の仕事は残り時間に行なうしかない。いわゆる風呂敷残業などという持ち帰りの仕事です。しかし、今では試験問題は公文書、絵や作文など生徒の作品は個人情報で、持ち出すことは禁止です。それで学校に居残って深夜まで仕事をすることになる。 教員の家庭崩壊や離婚は、冗談ではなく深刻な脅威です。世にいう「教員の子どもって、どこか変」といいますが、どこかどころか、子どもが重度のコミュニケーション障害になってしまった霊を知っています。 「部活顧問は自由裁量」、もちろんその通りですが、ぼくのようにずるくて運のよい教員はごく少数です。部活指導を生き甲斐にしている教員はおおぜいいますが、そうでなければやっていけないからです。
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