警告(続き)
デジタル漬け、スマホ漬けの危惧。私たちの世代に限れば、大きなリスクはないものと思います。問題は、生まれた時からデジタル機器に囲まれている世代です。 何回か触れたことですが、厳密にはデジタル機器の関与ではないのですが、子どもの発達に関して悲劇的な例を目の当たりにした経験があります。でも守秘義務もあり、詳細は語れないままでした。 鳥のヒナは生まれて最初に見た動くものを親だと認識するそうです。「刷り込み」と言いますね。最初でなくても、ヒヨコの世話をすると、ヒヨコがとてもなつくのも刷り込みだと思います。そのように脳にプログラムされてりるわけです。 類人猿やヒトの場合は、生まれてすぐの子どもと親が互いに目を見つめることが重要なのだそうです。親子の絆が形成されるわけですが、それは子どもの、そして親として子どもを気にかける脳の発達のゴーサインでもあるわけです。ヒトの場合は、見つめ合ううちに自然に声が出る。そして相手はその声に答えます。「あー」と言えば「あー」というふうに。初め「あー」だった声は、すぐに言葉になります。子どもはしゃべれなくても言葉の意味を捉えていく、同時に脳に言語を聴きとり、理解するエリアができる。運動に関わる領域には言葉を発するエリアができ、言葉を理解するエリアと結びついていく。こんなふうに脳は発達していくらしいのです。 ですからその時期に、親が子どもと向き合わなければ、この発達が損なわれてしまうわけです。言葉は感情にもつながりますから、人間らしさというものも芽生え発達していきます。 ぼくが出会った生徒は、表情がなく、視線が合わず、会話もオウム返しでした。服が汚れ、髪もぼさぼさだったし、友だちもなく、学校も休みがちでした。 母親は、その子が自分を拒んでいるらしいと言うのです。食事も親が作ったものは食べず、選択したての服に着替えず、風呂も拒んでいるようだと。夜中に冷蔵庫を漁って何か食べているらしいということでした。理由は思い当たらないと、その時は言っていました。 翌年もその子を担任し、恒例の家庭訪問に行くと、母親は病床に就いていました。退院してきたばかりだというのですが、改善したからではなさそうでした。 そこで聞かされたのは、母親は教員で、子どもが生まれた時、当時評判になっていた、自立した子に育てる教育法を実践したのだそうです。驚くことにそれは、できるかぎり子どもに触れない、抱かない、声をかけないというものでした。それで、いつもテレビの部屋に一人で寝かせておいたら、発達が遅く言葉も遅れた。おかしいと思っていると、視線が合わないことに気がついた。しまったと思い、今までの方法を全て捨てて、普通の育て方に戻そうとしたのだが、いつも視線を逸らされてしまうのだと。 母親は、仕事をやめて、つきっきりになって育児に専念したのだが、今では母親の存在さえ拒否されているようだ、と。 父親は何をしてたんだろう?父親のかかわりはとても薄いと感じました。しかし母親は間もなく亡くなり、祖母が子どもの世話をするようになったものの、その子に「お前のせいで、お母さんは病気になって死んだのだ」と攻め続けたとのこと。これは父から聞いた話です。たしかに心労が病気を悪化させたのだろうとは思うものの、それを孫に直接ぶつけるのかと、内心腹立たしく思ったものです。 あの子はその後どうなっただろうか? 乳幼児期に受けた脳の損傷はどこまで回復するのか? 38年間、教室の子どもを見ていて、子どもの姿が大きく変化してきたと感じます。豊かな家庭の子が非行に走ると言われた80年代。切れやすい子どもが増えたと言われたのも80年から90年代。そのころは、原因がつかめないけれど、なぜか子どもが変わってきたと実感していました。 その後、PC,ケータイ、さらにスマホが、子どもたちの手ごろなおもちゃになると、ゲーム漬けで登校できない生徒も現れました。たまに登校してきた彼の言動はまるで感情のない宇宙人でした。 最後の職場は、スラム街が再開発されてマンション街になった地区にありました。生徒の3分の一ほどは教室に入らず、徘徊して雄たけびを上げるような学校でした。帰宅する子は、荷物を路上に放り出して、100円ショップに入りびたったり、路上でゲームをして遊んでいました。万引きもゲーム感覚でした。 親は仕事に逃げ、子どもに向き合うかわりにケータイを与えているとしか思えないのです。子の子どもたちは、いつも群れているのに互いに心が通じてはいないのです。それがわかるとぞくぞくと背筋が寒くなったものです。体をくっつけて座っていても、互いのことを知らないし、言葉は単語のやりとりのみ。 スマホやゲームが悪いとは言いません。でも、それらに子守りさせるしかないような階層を作ってしまって放置しているのがこの国です。でも、そこからどんな子どもが育つのか? 最近の事件、犯罪には、人間にこんなことができるのかと驚くことが増えてきたように思います。20年前の心配が、いやな形で現実のものになってきたのでしょうか。
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