悩み
私たちのバンドでキーボードを担当している人は、唯一音楽学校を卒業したという若手です。(40代くらいでしょうか?) 近ごろ人気が上昇してきた「昭和歌謡」なども、彼にとっても新発見で、こんなのどうでしょう?とばかりに様々な「新曲」を持ち込んできます。この夏も、「異邦人」を見つけてきて、「どう?」と言います。疑問文をぶつけてきても、彼の眼を見れば「やりたい!」という気持ちがあふれているので、とりあえず挑戦してみたら、これが意外におもしろかったのです。あの奇妙なイントロ部分は、どうやらトルコ音楽風のアレンジのようなのです。マイナーのコードの中でメロディーが半音を刻むため、洋楽なら許されない不協和音になるのが、エキゾチックな中東の音を再現していたことに、初めて気がつきました。 そのキーボード担当は、介護施設に勤めています。そもそも少子高齢化が進む地方都市では、介護施設に就職するしかない現状があるのですが。 で、彼が、自分の職場で演奏するという提案をしてきました。いわゆる慰問活動です。断る理由はありません。でも、問題になったのは、どんな曲を選べばよいのかということでした。 彼以外のメンバーは70代、施設の利用者とほとんど変わらない年代です。だから、自分たちが演奏したい曲と、利用者が聞きたい曲はあまり違わないのではないかと思うのですが、彼が提案してきたのは、戦前のもの。私たちが子どものころ、すでに「懐メロ」などと言われていたようなものばかりでした。実際に、それが喜ばれるのだというのです。
その候補曲の中に「蘇州夜曲」がありました。李香蘭こと山口淑子が一世を風靡したあの曲です。70年代、駆け出しのころに、先輩の戦中派のおじさんたちが懐かしそうに歌っていたあの曲です。でも、作詞は西条八十、作曲はブギウギの服部良一という豪華トリオでした。所々にジャズ風なコードがありながら、二胡の演奏が似合いそうな中国風のメロディー、あらためて聴けばたしかに名曲なのです。 でも、気がついたことがたくさんあります。 その①、3番の歌詞「鐘が鳴ります寒山時」。あっと思いました。高校時代、漢文の教科書に載っていた五言絶句「楓橋夜泊」の「姑蘇城外の寒山寺」。「姑蘇」は蘇州のことです。あの漢詩は昔から誰もが知っているので、西条八十はそれをふまえてこの歌詞を書いたのだと気がつきました。今でも、蘇州を訪れる日本人観光客の多くが寒山寺に行くのだそうです。 (参考)楓橋夜泊 張継 月落烏啼霜満天 江楓漁火對愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘聲到客船
その②、「夜来香」も歌っているテレサ・テンもカバーしているはずと思って検索したが、なぜか「蘇州夜曲」はない。理由があるのだろうか? 調べると、「蘇州夜曲」は山口淑子が李香蘭の名で出演した国策映画「志那の夜」の主題歌だったという。長谷川一夫主演、李香蘭は中国人の少女だと言う触れ込みだった。長谷川が中国娘を助け、恋仲になるというストーリーだが、劇中、長谷川が李香蘭を殴るシーンがあるという。日本軍が中国に侵攻して戦争が始まっていた時代に、助ける日本人、助けられる中国人、殴る日本人、殴られる中国人という構図が、中国人のプライドを傷つけたのではなかろうか。 戦後、中華民国政府は、李香蘭を祖国を裏切った者として裁いたが、彼女の幼な友だちのロシア人女性が「李香蘭は日本人」であると証言して無罪となった。 台湾出身のテレサは、大陸でも絶大な人気を得ていた。しかし、台湾出身であることから、当局の妨害や、悪意ある嫌がらせも受けていたであろう。「蘇州夜曲」封印はそのあたりに理由がありそうな気がする。
以上のことが分かってきました。それでも演奏するか? 利用者に中国に関係ある人はいないか? 帰国孤児の方やその関係者、あるいは中国から日本の農家に嫁いできた人など、かえって地方の方が多いのかもしれません。そうでないなら、曲そのものは名曲だし、利用者が喜ぶのなら良いとするか?
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