「蘇州夜曲」は本歌取りかもしれない
「蘇州夜曲」についての考察の続きです。 「蘇州夜曲」は張継の絶句「楓橋夜泊」の本歌取りではないかということです。世の中ではすでに常識で、だれでも知っていることなのかもしれないのですが、ぼくもついさっき気がついてしまいました。 繰り返しますが、私たちが高校の漢文の時間に読まされたあの詩は、昔から漢文を学んだ日本人なら誰でも知っていたというのが、大切なポイントです。 また、「蘇州夜曲」が、軍国日本の国策映画の主題歌だったとしても、西条八十や服部良一の思いは別のところにあったかもしれません。そもそも、昔の日本の知識人(懐かしい言葉、今では死語でしょうか?)にとって、中国は日本に文化をもたらした、尊敬すべき、そして親近感を感じる国だったはずです。 「「蘇州夜曲」を歌う場合の参考にしようと、YouTubeを検索してみると、まず一番聞きたかったテレサ・テンの歌はないことがわかり、これはなにかあるぞと思ったのでした。 次に、別の人の歌をいくつか聞くと、1番の冒頭に近い歌詞を「鳥の唄」と歌う人と「恋の唄」と歌う人がいることに気がつきました。自分で歌うかもしれないので、これは解決すべき問題です。すると、山口淑子本人は「鳥の唄」でした。でも、いくら春を歌うものでも、なぜか唐突な感じがします。そう感じた人が何度も聞き直して、「これは恋の唄と歌っているにちがいない、だって本当に恋の唄なのだから」と思ったのかもしれません。 でも、この「「蘇州夜曲」が、「楓橋夜泊」をベースにしているのなら、理解できます。「楓橋夜泊」では起句に「烏啼いて」とありますから、題名にある蘇州と、「鳥の唄」が第一ヒントになります。 そして承句の「漁火愁眠に対す」を思わせる「夢の舟唄」です。最後、「蘇州夜曲」3番の歌詞には「寒山寺」。これで明らかです。和歌伝統の本歌取り……有名な古歌を本歌として、そこからイメージを得て歌を詠む……であることがはっきりします。 西条八十は、「楓橋夜泊」の作者、唐の張継が安史の乱(安禄山の叛乱から始まった内戦)を逃れて蘇州に来て読んだ冬の絶句を土台に、春の恋の歌に作り変えたのです。 しかし、本歌である「楓橋夜泊」が戦争を背景にしているように、「蘇州夜曲」も日本の侵略戦争を背景にしています。西條八十、服部良一ら当時の文人が、そこまで考えていたとしたら、それはそれでこの歌の評価は変わってしまうかもしれませんね。
参考までに両方の作品を掲げておきます。
楓橋夜泊 張継
月落ち烏啼いて霜天に満つ 江楓漁火愁眠に対す 姑蘇城外の寒山寺 夜半の鐘声客船に至る
蘇州夜曲 詩:西條八十 曲:服部良一
君がみ胸に抱かれて聞くは 夢の舟唄鳥の唄 水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳がすすり泣く
花を浮かべて流れる水の 明日のゆくえは知らねども 今宵映した二人の姿 消えてくれるないつまでも
髪に飾ろか接吻しよか 君が手折りし桃の花 涙ぐむよな おぼろの月に 鐘が鳴ります寒山寺
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