3月27日朝は、夜中まで降っていた雨がやみ、晴れて冷え込みました。散歩に行くと、草原には霜と水滴の両方があり、朝日を受けてキラキラ輝いていました。
補助に持っているオリンパスのコンパクトデジタルカメラを使って撮影してみました。これにはスーパーマクロの機能があるので。
それがこの写真。
地を這う草の葉の霜
松の葉の水滴
なんと霜の結晶が写っています。水滴もさっきまでは凍っていたのかもしれません。小学生のころ、顕微鏡でミクロの世界の魅力に取りつかれていたのですが、雪や霜の結晶は見たことがありません。視点を変えたり、倍率を変えれば見慣れた世界も不思議に満ちている、久しぶりの感覚です。
ところで先日、文庫版になった「福島第一原発事故の『真実』……ドキュメント編」(講談社・NHKメルトダウン取材班)を読みました。
ぼくの単純な頭で理解したこと。それはざっくり言えば、地震と津波で原発を制御するシステムが停電したこと。それによって訓練でも経験したことがない事態、たとえば計器などによるモニターもできなくなり、現場で対応した人たちには何が起こっているのかもつかめないまま、パニックを押さえながら、手探りで処理に当たっていた、ということです。(スマホもマイナカードも、大規模な停電が起これば使えなくなるわけだし。)
なるほど、原子力発電所を動かすには、電気が必要なのだと改めて思い知らされました。地震、津波、テロ、戦争……。停電や電源喪失は起こり得る。ロシアはウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ)連発やザポリージャ(ザパロージェ)原発の電源設備をしきりに攻撃しています。原子炉を直接狙わないのは、国際世論を気にしてか、それとも、さすがに世界規模の影響を考慮しているのか?
いずれにしても、少なくとも地震、台風の国日本には、原発は無理だという思いをさらに深めました。
能登半島地震でも、志賀原発が事故寸前という不具合が起こりました。そして、もし事故になれば、地域の住民は逃げられなかったかもしれない。放射線量が下がるまで屋内待機というのは、あの建物の倒壊状況を見れば不可能です。道路が寸断されたので避難も難しい。
80代の人が、「能登に原発がなくてよかった」と、新聞に投書していました。きっと、住民の反対で建設が断念された珠洲原発が念頭にあるのでしょう。私も、能登に原発はないと思っていたので、志賀町に原発があったことは改めて認識しました。
もし原発事故が起こっていれば、救助も難しいわけです。道路状況ばかりではなく、地震、津波の被害もあったので、混乱は想像以上であったはずです。
思い出してほしいのは、3.11の時、救援物資などを運ぶトラックが福島に入ることを拒否したり、渋ったりしたことです。放射能への恐怖のためでしょうが、それは一方で「福島」への差別感情をも生みました。福島ナンバーの車が傷つけられたり、投石されたことを忘れるべきではありません。被災地福島の多くの人の心中には、自分たちは見捨てられたという思いが今でも澱んでいます。
福島第一原発の廃炉が進みません。世界のどこでもやったことがないので、それこそ手探りでやるしかないのでしょう。廃炉、廃棄物処理、それらを考慮せず、必要になるころには科学技術が進んでいて、開発されているにちがいないと見切り発車したのです。私は原子力とは悪魔の技術だと思っています。悪魔との契約は必ず人を破滅に導くのでしたね。