先週、鳥海山麓に紅葉狩りにでかけました。途中、林道入り口が土砂崩れでふさがれていて、迂回しなければなりませんでした。豪雨被害の大沢地区も近く、ここも全く手がつけられていない状態でした。入り口の両サイドに休憩できる駐車スペースがあったのですが、そこに森がそっくり移動してきたような地滑り跡です。
紅葉は、猛暑があったにも関わらずなのか、猛暑だったからなのか、それなりにきれいではありましたが、やはり台風通過の時の塩害を受けたのか、葉が黒く縮れていたり、赤い紅葉が少ないようにも思いました。
地滑り跡
紅葉

ところでスズメが絶滅危惧種だとのこと、ほんとうに?と新聞の前で考え込みました。
スズメはツバメと同様、人間のすぐ隣に暮らす生き物です。子どものころ、ツバメは益鳥、スズメは害鳥などと差別し、原っぱで拾老い集めた焼け残りのレンガを組んでスズメ捕りの罠を仕掛けるやつまでいました。ツバメは虫、害虫を食べるから益鳥、スズメは稲を食い荒らすから害鳥というわけです。
田舎のスズメ、都会のスズメという言葉があります。田舎の農家はスズメを敵視するから、スズメは人への警戒心が強いが、都会ではそんな敵愾心がなく、餌付けする人までいるからスズメが人慣れしているというのです。
なるほど、地方都市酒田にはスズメがたくさんいて、絶滅危惧などどこの話かと思います。朝早く散歩に行くと、途中、ある家の前にスズメが群れていて、なかにはガラス戸を飛び蹴りしているスズメまでいてびっくりしたことがあります。その家は、スズメにこっそり餌を撒いていたので、「そろそろ時間ですよ」とおねだりしているのだと、後に分かりました。スズメだけではなく、市内にはキジバトやカラスに食べ物を与える人が珍しくないのです。
かつての酒田湊が豊かな商人の町だったことが関係あるのでしょうか?米の取引をする店では、おこぼれを欲しがるスズメが集まったでしょうし、それを目くじら立てて追い払うようでは、商人の器量が疑われるというものです。
スズメは屋根の瓦の下などに巣を作り、ヒナを育てます。我が家の瓦はすき間ができない構造らしいのですが、向かいの空き家は何家族ものスズメが営巣するスズメ団地になっています。彼らは朝早くから大きな声でおしゃべりをはじめ、縄張りを主張し、口論し、時には人前で公然と愛を交わします。乾いた地面を見つけると砂浴びをしたり、ヒナのための虫を探したり。昔の長屋の住民同士以上にあけっぴろげに暮らしを公開してくれます。
春から夏にかけて何度かヒナを生み育てたあと、団地はひっそりとしてしまいます。この時期になると、私たちの散歩コースである森に彼らが現れます。森といっても草原も疎林もあるのですが、団地が空っぽになる以前から、スズメたちはここに虫を探しに来ていました。そのうち、見るからに幼い様子の子スズメを従えて数が増えていきます。私たちを見て一斉に飛び立った後に、2~3羽の子スズメがきょとんとした顔で残っていたりする様子は、とてもかわいいものです。
実は、秋の頃。向かいのスズメ団地にスズメが戻ってきているのです。子育ての季節ではないはずなのに、どうしたことでしょうか。スズメ団地がある向かいの屋根には、いまびっしりとつる草が茂っています。キカラスウリです。時々家主が人を頼んでつる草を退治するのですが、今年もすっかり草に覆われてしまいました。カラスウリのように実が赤くなることはなく、緑のままの実が晩秋には熟れて茶色くなり枯れてしまいます。そうなるとカラスやムクドリが種をついばみにやってきます。スズメもそれが目的なのでしょうか?
しかし、スズメは繁殖期のように朝からにぎやかに鳴き交わしていて、この屋根をねぐらにしているのだろうとしか思えないのです。
そんなスズメが絶滅危惧と聞くと、信じられない思いです。確かに瓦屋根がなくなった都会では、スズメが消えたと聞きます。しかし電柱や信号機の横木のパイプなどに巣を作るなど、彼らの暮らし方に変化は見えても、スズメが人の暮らしから離れるとは思えないのです。近年、人の近くで生活する野鳥が増えていて。かつて住んでいた横浜でも、ハクセキレイやコゲラ、もともと海辺で暮らしていたイソヒヨドリなどをよく見かけたし、沖縄ではアオバトが市街地で鳴いていました。彼らはカラスやタカ、トビなどの脅威を避けるために人に近づくのだと言われます。そんな野鳥たちが、元の純粋な野生の暮らしに戻れるのか? 戻れないから「絶滅」ということになってしまうのか?
人が人らしく生きる上で、スズメやツバメ、そしてミツバチなどの昆虫が暮らせる環境を保持することがいかに大切かと深刻に考える今日この頃です。