中学校の騎馬戦で見た「形」
ラジオの朗読を聞いていて、ふと思い出したことがあります。 ちょっとまとめてみました。
菊池寛の短編小説『形』は、中学3年生の国語の教科書に載っていて、ぼくは読み聞かせをすることが多かった。 冒頭はこのように始まる。「摂津半国の主であった松山新介の侍大将中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえた大豪の士であった。」 ある時、初陣に臨む主君の子にせがまれ、自分の唐冠の冑と猩々緋の羽織を貸してしまう。若い侍はそのいでたちで華々しく手柄を立てるのだが、自ら地味な黒革縅のよろいで出陣した新兵衛は、全く怯まない敵に反撃されて討ち死にしてしまう。
ある年の2学期、珍しく3年生が転校してきた。進路が絡むので3年生はなるべく転校を控えるので、珍しいケースだった。しかも、その子はタクシーで校門前に乗りつけ、お供を従えているのだ。学ランと呼ばれる長めの学生服をはだけた下にはダボシャツ、ラクダ色の腹巻をしている。古風だなあ。なんだかフーテンの寅さんみたいだ。お供もそっくりのいでたちだが、彼らの腹巻はラクダではなくカラー腹巻だった。区別があるのがおもしろい。 お供が列を作って並ぶ中、転校生はゆっくりと昇降口への坂を登り、校長室に入る。頃合いを見てお供は帰って行った。な、なんだこれは? 転校生は、磯子区の岡村中学校からやって来たのだった。後に、デュオの「ゆず」の出身校として有名になったが、もともと強い(もちろん喧嘩に)学校として定評があった。神奈川区の神奈川中と双璧をなしていたのだ。修学旅行先でも、この2校同士が出会わないように気を配らなければならなかった。修学旅行で横浜市は他県に先駆けて、制服ではなく私服を推奨したが、制服が喧嘩の引き金になることを恐れてのことだ。 校長とはすでに話が通っていたようで、職員にはこの当日、要注意の転校生を預かることになったと報告があった。受け入れるクラスも決めたのだが、結局教室に入ることはなく、いつも重役出勤でゆっくり現れ、校長室で煙草を吸い、好きな時間に帰って行った。 まもなく体育祭があった。3年生には男女別の騎馬戦がある。(女子も騎馬戦をやりたいと言い出したのだ。) 騎馬戦では、職員はグラウンドのあちこちで待機する。互いの大将の鉢巻きを奪ったほうが勝ちというルールだったが、激しく転倒、落馬することもあるからだ。いち早く察知した職員はその場に駆けつけて落ちる生徒を支えてケガを防止する。 ふしぎなことが起きた。片方の大将はあの転校生だった。本人が希望したのか、校長の薦めなのかわからないが、痩せた体で馬上に立った。もちろんあの腹巻をしていた。 敵の大将はもともといる番長だ。薄笑いを浮かべていたが、かつて担任だった経験から、あの笑みは気弱さを隠しているとわかった。 ピストルが鳴り、双方が走り出す。敵は大将を温存する作戦を立てた。大将騎は背後に隠れ、周りを囲んで守るという。転校生が敵の防衛線の真ん中めがけて走り出した。すると、なんと敵陣が左右になびいたのだ。完全に道が開けている。その先に敵の大将がいる。もう逃げるわけにはいかないのでまっすぐに立ち向かってくるのだが、馬は逃げ腰だ。がしっと組み合うともうぐらついている。それであっさりと鉢巻きを奪われてしまった。乱闘にならないように職員が引き分ける。(引き分けという言葉はここから始まったのだな!) 実は、予行演習も本番も同じことが起こった。モーセの奇跡は一度だが、ここでは何度も起きたのだ。鎧や冑ではなく、ラクダの腹巻が彼の「形」として力を持ってしまったのだ。
数年後、次の異動先で、岡村中で彼の担任だったという女性と同僚になった。聞けば、彼の腹巻は幼いころから病弱なためで、転校したのはあの学校が、医療センターの近くだったからだ。坂を越えたところにもともと結核のサナトリウム、精神病院などがあり、それぞれが充実しているうえに総合病院がある。子ども専門のセンターもある。 実は騎馬戦の敵の大将の子も、兄の病気のために転居してきたと聞いている。ふたりとも、もとは人懐こいかかわいい子だった。どちらも家庭の貧しさや、病気の家族、そのため弱音を見せられないなどの事情で、大きな荷物を背負わされている子だった。学校ではいつのまにか「番長」に祀られ、そうである以上、強い教師とは戦わねばならないし、他校の番長とも戦わねばならないと悲壮な気持ちで日々を送っていたのだろう。 彼らにとっての「形」は、長ランやらスタジャンやら、時々腹巻というわけだったのだな。岡村の転校生とは接点がなかったけれど、いずれも管理一辺倒や頭ごなしの指導では心を開かない。でも、彼らとのしびれるような日々あったから、山のような事務仕事もガマンできた気がする。昨今の教員の働き方問題では、そのあたりが分かっているだろうか。
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