モズがいました。秋には高鳴きで存在を知らせるこの鳥には、独自のさえずりがなく、他の鳥のものまねで雌の気を引くのだそうです。そういえば、松の若木のてっぺんで黄色い鳥がヒバリのさえずりをまねていたのは、きっとこのモズです。本物のヒバリが木にとまってさえずるはずがない。。

しばらくぶりに「シロヒゲの爺さん」に会いました。なかなか貫禄がでてきたようです

こちらは、高校のテニスコート近くのクルミ林のリス。

朝日で逆光ですが。尾が短いのはなにか事故に遭ったのでしょう。乳首が見えてきているので、母親になったのか、まもなくなるのか。子どもが見たいですね。
さて、最近ふと思ったことを書いてみました。
5年生の冬、変声期になったらしい。級友にも一人もいなかったと思うし、自分でも自覚がなかった。この年、所属していた少年少女合唱団は、北海道演奏旅行にも行き、定期演奏会ではアルトとソプラノのプロの歌手を招き、室内楽団の伴奏でペルゴレージの大曲『スターバト・マーテル』を演奏した。充実した年だったのだ。
ところが定演の数日後、ごくろうさん会的なパーティがあり、その最後で突然「卒業発表」があったのだ。そして卒業する一人に自分の名前があった。
変声期だからと理解したのは後の話で、事前の話もなく理由の説明もなかった。月謝の滞りはなかったはずだし。
折あしく、その冬、一家は家を失った。父親が保連帯証人となっていた債務が不渡りとなり、寝具や鍋釜以外の家具すべてに「差し押さえ」の札が貼られ、背広姿の男たちが土足で踏み込んできた。父は、家の所有権が移る直前なのか、ガラスをすべてたたき割った。珍しく見せた怒りの表現だったのだろうが、逃げた社長に向けたのか、自分に向けた怒りなのかはわからなかった。会社の運転手だった若者が軽トラックを借りてきて、隣町に引っ越した。大型ベッドが、借りることになった木造のアパートに入らず、窓からねじ込んだ。
小学校を卒業するまでの1年は、ぼくにとって最悪の時期だった。意地の悪い担任とは折り合いが悪かったし、そのせいで劣等感を持った。家に帰れば大人たちは角を突き合わせた。身長が大人なみに伸びたこともあり、父親の古い服を着せられて通学した。歌は唯一自身があったのに、それがなくなってしまった。「もうどうでもいいや、不良になろうか?」と何度も考えたが、「それがどんな解決になるんだ?」ともう一人の自分が言うのだった。
中学校に入学し、友に恵まれた。教師たちも意地悪ではなかった。合唱部に入部したものの男子は一人で役に立ちそうにないし、自分のせいで顧問が困っているように思えてやめてしまった。以後、この先生が冷たくなったような気がしたのは、たぶん気のせいだと思う。(事程左様に劣等感というものは、自分を卑屈にするものなのだ。)
さて、歌に限って言うと、音楽の授業で、シューベルトの歌曲「魔王」を聴いたのはラッキーだった。変声期を越えても歌える希望が見えてきた。よし、バリトンをめざそうと。
高校では悩まずにコーラス部に入部した。希望通りバリトンの音域になってきたのだが、混声合唱ではバスに所属するしかない。しかし、時々低すぎて困ることがあった。
一方、その高校には音大を目指す受験生のために、年に何度かミニコンサートがあったので、「色物」としてエントリーしてドイツリートを歌うことができた。伴奏は紹介してもらえるが、交渉は自分でしなければならない。そんなことが今では「青春の思い出」となっている。
大学には男声合唱団があったので、迷うことなく入部。以後、バリトンを担当してここまで来たことになる。
定年後、移住した酒田市には男声合唱団もあり、そのメンバーの一人と意気投合してバンド活動も始めた。やはり歌をやってきてよかったとつくづく思う。
ところで、最近の悩みは、男声合唱のバリトンを担当しながら、低音が出にくくなってきたことだ。逆に高音の音域が広がっている。なぜ?
これが高齢化に伴うホルモンバランスの変化なのか? きっとそうだ。そして音域の変化にホルモンが関わっているのなら、それは変声期と同じことではないか?メス化した?などと言われるよりはいい響きかも。