言葉の乱れじゃないよ、方言だよと思いたい
最近、NHKのアナウンサーがしばしばNHKを「会社」と呼ぶことに違和感があります。今朝はNHKを「企業」と言ったので、これにも疑問。視聴者から受信料を取り、国からも数十億円の交付を受けている「日本放送協会」は企業であり会社なのか?まあ、昨今の就職活動では、NHKと民法を区別することなどできず、どこでも受かればラッキーという感覚で受験し、入局(入社?)するのでしょうけれど。 いわゆる「標準語」が広まり、逆に方言が衰退したのは、日常的にお茶の間に届くラジオ放送の力だったと言われています。もちろん学校での強制的な標準語指導は、屈辱的な「方言札」の罰と共に悪名高いのですが、現実には教員もかなり訛っていたのが実態で、生きた標準語の実例はやはりラジオだったでしょう。 東京など首都圏の子どもたちは、自分たちの言葉が方言だとは考えもしないで、今でも堂々と東京弁やら江戸弁やらを使っていると信じますが、ここ酒田の子どもたちは東京よりよほど洗練された「標準語」を駆使します。ぼくたちが移住してきた2009年ごろには、近所の女子高生徒たちは3つの言葉を使いわけていたのですが。つまり家族と話す方言と、友だちと話すギャル語、そして他人や異性の友だちと話す「標準語」です。しかし知人によると、今では孫たちには方言は通じないというのです。それだけテレビ(それともアニメ?)の影響が大きいのでしょう。 そうそう、なぜNHKについて書き始めたのか忘れていました。以前にも書いたと思うのですが、NHKが広めた挨拶言葉「どうも!」でぼくは大失敗をした恨みがあるからです。乗馬クラブの子どもたちを引率して、鎌倉に流鏑馬を見に行ったとき、出場する知り合いの人を探して、馬装を整えていた年配の人(今思えば家元の先生だったかも。)に尋ねて、軽く「どうも」と礼を言ったところ、「ありがとうとなぜ言えん!」と一喝されたのでした。もちろん悪いのはこのぼくであり、NHKを恨むのは八つ当たりなのですが、それでも「どうも」という挨拶は本当は失礼なのだぐらいの注意喚起はするべきでしょう。 それに、いまだに朝の番組やコーナーに、古代に流行った挨拶言葉「おは!」をつけるセンスの無粋さ。社長出てこい!といいたくなりますね。社長はいない?会社じゃないから? NHKと並んで気になるのが国会。閣僚や議員がしばしば言葉遣いを間違え、その間違いがすでに国会用語として普及してしまっているのは、国語を教える教員にとってはきわめて不適切です。たとえば施行、施策を「せこう」「せさく」と読む間違いは、一部の辞書にも載るほど定着してしまい、もはや間違いとは言えなくなってしまっています。こういうのってテストで生徒と揉めるんだよね。目途を「もくと」と読むのも(めどですよね?)。 「確信する」、「訂正する」はそれぞれ一つの単語(サ変動詞)なのに、「確信をする」、「訂正をする」などと、「を」をはさむ。なんのため? このごろの流行は「目くばせ」です。笑っちゃいます。「細かいところにも目くばせする」ってどういう意味でしょう? まあそのつど「目配りだろ!」と突っ込ませてもらうので、ボケ防止にはなっているのだろうけれど。
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