宮﨑駿の「風立ちぬ」を見た
今日の酒田には朝から暴風雪警報が出ている。晴れ間がのぞいたと思うと、次の瞬間、雷鳴とともに霰まじりの突風が吹きつける。風は大陸の黄砂も伴って、空は濁り、車は土色の豹柄になってしまった。
先日、テレビで宮﨑駿の「風立ちぬ」を放映していたので、録画して初めて見た。 それで、ここにその感想を書こうと思ったのだが、作家の高橋源一郎が、図書館から借りてきた「『あの戦争』から『この戦争』へ」(ニッポンの小説3・・・文藝春秋)にすでに書いていて、言いたかったことも、知らなかったり気がつかなかったことを書いてあったので、改めて感想を書くことはやめておくことにした。 その高橋の文章には、インドの詩人タゴールが大正5(1916)年に来日し、後日その時の日本について書いたことが引用されている。
〈私は日本において政府の民心整頓と国民の自由の刈り込みに全国民が服従するのを見た。政府が種々の教育機関を通じて国民の思想を調節し、国民の感情を作り上げ、国民が精神的方面に傾く徴候を示すときには油断なく疑惑の眼を光らせ、政府自身の仕方書に従ってただ一定の形の塊りに完全に溶接するのに好都合なように(真実のためではなく)狭い路を通って導いて行くのを見た。国民はこの遍く行きわたる精神的奴隷制度を快活と誇りをもって受容れている、それは自分でも「国家」と称する力の機械になって、物欲のために他の機関と覇を争わうとの欲望からである。〉
タゴールが来日したのは、いわゆる大正デモクラシーの時代だ。日本人の多くがその「自由」に陶酔していた時、タゴールはその本質を見抜いていたことに驚かされる。だが、もっと驚いたのは、最初これを読んだ時、現在のことを書いているのかと思ったほど今の日本にあてはまるからだ。
私たちが小学生のころ、「道徳教育」が復活した。けれどもそのころ、道徳の時間とは名ばかりで、学級活動や学級会に振り返られることがほとんどだった。それは、当時の教師の抵抗のためだ。 しかし、今では抵抗していたこともその理由も継承されぬまま「道徳教育」は学校現場で実施されている。実施の是非ではなく、実施を前提に「いかに授業するか」という時代になっているのだ。それでも、結論を押し付けるのではなく問題を投げかけ考えを深めるという形で授業を終えることになっている。当然、人間の心に優劣をつけるような「評価」はしない。 ところが、その道徳が「教科」になるという。強化になるということは、文科省による検定を前提とした教科書を使うことになり、評価も行われることになるわけだ。タゴールが指摘した「教育機関を通じて国民の思想を調節する」ことである。 道徳だけではあるまい。現政権が次々に行なおうとしていることを見れば、「この道」がどこに通じているのか明らかではないだろうか。
宮﨑駿が「風立ちぬ」で描いた堀越二郎(ゼロ戦を開発した人)は、ぼくが学生時代に耽溺した立原道造などの叙情派詩人と共通しているように見える。彼らは、きな臭い時代に目を背け、高等遊民として感傷的で美しい創造の世界に退却したのだ。二郎は空に憧れ、性能が良く美しい飛行機を作ることに没頭した。彼の飛行機が実査愛には兵器であり、人を殺し最後には操縦士もろとも自爆おしていったことには眼をつぶった。 若くして亡くなった詩人立原道造は、才能ある建築家だった。ものづくり職人の二郎と重なる。このアニメのバックボーンである小説「風立ちぬ」の作者、堀辰雄も叙情派の1人だったはずだ。 アニメ「風立ちぬ」のラストでは、美しい空を飛ぶ飛行機の群れの下に、黒煙がもくもくと立ち上っている。そこに美しい音楽が重なっているが、気のせいか、私の鼻は煙の匂いを嗅ぎつけている。重油の燃える匂い、硝煙の匂い、戦場の死臭、そして恐怖の匂い。二郎と薄幸の妻との美しく悲しい物語に涙が止まらないのだが、そこに別の涙が割り込んでくる。どうやら不条理への憤りのようなものらしいのだ。 宮﨑駿自身、少年のころから空にあこがれ、飛行機にあこがれる人間であることは彼のこれまでの作品からも明らかだ。 「風立ちぬ」発表の後で宮崎は引退を表明したが、その引退表明も含めたトータルがこの作品なのかもしれない。そこになにやら苦い自己否定と現在への絶望と抗議を嗅ぎとったのは、これもまた私の鼻が暴走を始めてしまったのだろう。きっとpm2.5を含む黄砂と花粉のせいにちがいない。 外はあいかわらずの暴風。時々晴れ間がのぞくが、それが長続きせずつかの間にすぎないことは、酒田の住人ならだれでも知っている。
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