ハマケンの怖い話
いわゆる霊感というもがないらしく、恐怖の体験とか、見えないものを見たなどという経験はあまりない。ところが子どもたちときたら、こういうたぐいの話が大好きなのだ。 本当に怖い話というのは、たとえば兵器や戦争に関するものだろう。教員時代、「平和教材」の延長でその手の話をしていたら、バタンという音がした。見ると、後ろの方に座っていた生徒が一人消えている。いや、消えたのではない。女生徒が脳貧血を起こして椅子ごと倒れてしまったのだ。彼女は、ぼくの話から血なまぐさい戦場を想像し、ショックを起こしてしまったのだった。たしか、通勤途中に通る農業専用地区に、車に轢かれた子狸の死骸があり、それが日に日に臭ってきたという経験談をもとに、戦場の死臭や異臭の話を交えていたと思う。戦争体験を持たない我々には、想像力の助けが必要だと思ってのことだ。 想像しただけでショックを起こすほどなのだから、本物の戦争がどれほどおそろしいものかわかるだろ? と、その子を保健室に送った後で締めくくったものだ。
だがあるとき、ふと思い出したことがある。それはやはり心霊体験ではないけれども、怖い話には違いない。 1959年ごろ、小学5年生のぼくは、新宿の戸山町に引っ越してしまった親友のTくんから誕生会に招待された。大好きなオムライスをごちそうになり、2人で外に遊びに行った。広い原っぱは昔の練兵場の跡で、箱根山と呼ばれる人工の小山も残っている。 「動物がいるよ。」というTくんの案内で国立病院の裏手に行ってみると、ヤギやヒツジが飼われていた。草をむしって食べさせているうちに、背後の鉄筋の建物の重い鉄の扉が半ば開いているのに気づいた。なにか怪しい雰囲気に誘われ、そっと中に入ってみた。窓のない薄暗い部屋で、壁沿いに棚があり、巨大なガラス瓶が何段も並べてある。そして床には一斗樽ほどの木の樽が並んでいる。 瓶に入っていたのは内臓のアルコール標本だ。心臓とか眼球とか。不気味ではあったが、理科室に内臓の模型や標本があるように、病院に研究のための標本があっても不思議ではないと、その時は納得した。 足下の樽のふたがずれているものがあったのでのぞいてみると、満たされた液体の水面すれすれまで、白っぽい臓器がぎっしりとつまっている。脳のようだ。他の内臓は、それが人間のものかどうかぼくたち子どもにはわからない。だが、この脳が人間のものだということはなんとなくわかった。背筋を冷たいものが駆けのぼった。2人で同時に逃げ出した。その後の記憶ははっきりしない。とにかくそのまま別れ、それっきり大人には話せないまま時間が流れ、記憶も薄れた。あまりのショックに、記憶から削除されてしまったのかもしれない。おしまい。 え?ちっとも怖くない?よく考えてみて。病院は治してもらいに行くところで、死にに行くところではない。残念ながら死んだとしても、その遺体は墓に入るはず。ではこの標本は?研究に値する希少な症例?でも1つの瓶や樽にいったい何人分の臓器が入っていただろうか?そして全部で何体? そんな病院があってたまるものか。 1989年、新聞に「国有地に謎の人骨」という記事が載った。国立感染症研究所の移設工事の際、現場から大量の人骨が出てきたというのだ。日本人ではないアジア系。厚生省はなぜか調査に消極的。 あの場所に近い。いや同じ場所かもしれない。地図を見ると、国立の医療関係の施設が立ち並んでいる。昔は軍医学校もあったという。練兵場と合わせれば広大な軍用地だったのだろう。とすると、ぼくたちが見た臓器と発掘された人骨は大いに関係がありそうではないか。 この人骨報道は「研究のため」戦場から遺体を持ち帰ったという元兵士の証言を得て、なんとなく落着して終息した。だが戦死者の遺体を研究するとはどういうことなのか?なぜ敵側の遺体に限られるのか?なにか特殊な兵器によるものか? 当時の技術で、遺体を腐敗させずに国内に持ち帰れるものだろうか?持ち帰ったのは死体ではなく、生きた「研究材料」だったということはないのか?ここにはかつて七三一部隊の統括機関もあったという。 ぼくたちが見たのは、封印されたはずの国家的な秘密の一部だったのかもしれない。 ほら、怖くなってきただろう?
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