これでいいのか、日本のものづくり?
愛用していたキャノンのプリンターがおかしくなった。写真をプリントすると、一筋色ムラが出るのだ。コンテストに出品するわけではないし、時々玄関を飾る額に入れる写真と、町内会の作品展のにぎやかし(枯れ木も山の賑わいと言う通り)程度にしか使わないのだが。それ以外はほとんどメールで送信できる時代だ。 それでも色ムラのある写真じゃ作品価値はないというものだ。そこで最寄りのカメラ店を通じて診断と修理を依頼した。1週間後、カメラ店から連絡があった。該当製品は既にメーカーが製造販売を中止しており、部品もなく、サービスの対象から外れているというのだ。 デジャビュ!「ああまたか」思った。 永年キャノンのカメラを愛用しているのだが、きっかけはたまたま父から譲り受けたカメラがキャノンFtbだったためだ。その後新しいカメラを買うときは、レンズが共有できるキャノンを買い続けるしかなかった。 プロが使うというF1は重いのだが手応えがあり、失敗するのはカメラではなく腕が悪いのだと納得できるようなカメラだった。だが、内蔵する測光機能に不具合が出たため修理を依頼しすると、同じような答えが返ってきた。 そのころキャノンはEOSシリーズを売り出していて、システムをそちらに移行していたのだ。あの世界的に好評だったF1を捨てたなんて! 名機と評価されていたF1はただのガラクタと化した。骨董品として保管する酔狂はないので、ジャンク品として手放すほかなかった。
その後勤続20年の記念品(まさにバブルの時代)として、選択肢にEOSキスがあった。Fシリーズのレンズとの互換性はないのだが、ズームが2本ついていたのでそれでよしとした。デジタル一眼の時代になっても、それまでのレンズが使えるキャノンデジタルキス(通称キスデジ)を使い続けている。 おそらくEOSがデジタル化した今では、フィイルムのEOSもサービスを停止しているのではないだろうか。
だが、カメラは道具だということをキャノンの経営陣は忘れてはいないだろうか。道具にはそれを使う人の思いと愛着がこもるものなのだ。新しい機能より、手に親しんだ古いカメラのほうが良いという愛好家は多いのではないだろうか。 カメラに限ったことではない、いわゆる家電にしても、携帯電話にしても、ひつようのない機能をてんこ盛りにして新しい製品に乗り換えさせようとする前がかりな商法というのはいかがなものか。おとなしく従っているように見える消費者だが、不満がたまって爆発寸前なのかもしれないではないか。
やれやれ、これから修理不能のプリンターを引き取りに行かなければならない。前払いした郵送料は、返してくれないだろうな? トホ、気が重いったらありゃしない。
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