庄内名物の食用菊「もってのほか」。
友人の畑から毎週のように届きます。歯ざわりがよく、エグみがなく、さっぱりした味です。ゆでて三杯酢で和えると鮮やかな赤になります。リトマス紙の実験と同じですね。
庄内ではお裾分けの習慣が残っていて、友人、知人、時には散歩で会っただけの人からまでいただきものをすることがあります。(山や森で採ったというキノコだけはいただいてもこっそり処分しますが。こちらでは、自信のもてないキノコは人におすそ分けし、その人が無事なのを確かめてから食べるというブラックジョークがあるので。)
「もってのほか」の名前は、皇室の紋章である菊を食べるなんてもってのほかだというのが由来とされています。諸説あるなかで一番庄内らしい説です。明治時代に、相馬屋という料亭に酒田の名士が集まって新年会を開いた。そのとき、宮中風にやろうということで貴族の扮装をしたことが問題になり不敬罪で逮捕された相馬屋事件というのがあったそうです。雛人形をまねたことが、天皇に扮したとして問題になったのだとか。中世以来の自由都市の歴史を持つ酒田では、皇室に対してはその程度の認識しかなかったということです。きっと「もってのほかだの。」なんて酒田弁で言いながら食べたのでしょう。おもしろいことに、NHKなどは「もってのほかおいしい」説を紹介していまが、それを言うなら「ことのほか」でしょう。「もってのほかおいしい」なんていう日本語は聞いたことがありません。
ところで……、突然ですが中学時代の美術の女の先生は苦手でした。年賀状のデザインに太陽を描いてはいけないとか、絵の下書きを線描きしてはいけないとか、自分の思い込みを強制するような指導が多く、内容はともかく強制されることに反発を感じたのです。
しかしある時脱線して、珍しく愚痴めいたことを漏らしたのです。それは……、
知人から絵を描いて欲しいと頼まれることが多いのだが、当然のようにただで描くことが前提になっている。それはおかしいと思う。少しでもいいけれど、報酬を払うことが作品の価値を認めることになるので、ただでというのは、価値を認めないのと同じだ、と。
そんなことを思い出したのは、当地(山形県では)、音楽の公演とか展覧会などで、高校生以下無料というのが当たり前になっているらしいからです。今ラジオで聞いた情報では、天童市の広重美術館の「東海道五十三次展」は大学生以下無料とのこと。
前述の美術の先生が言ったように、相当の報酬を払うことが作品への敬意と評価になるということもさることながら、学生や生徒を人間として認めていないように思えてならないのです。
私たちの合唱団も、演奏会は高校生以下無料です。18歳で選挙権が得られるようになったというのに、子ども扱いは失礼じゃないか?と疑問を呈して、次回から中学生以下無料にするように検討することになりました。(それもおかしいとは思うのですが。たとえ半額でも有料にすべきでしょう。)
冒頭の先生はこうも言っていました。「日本ではお金は汚い、不浄なものと考えられてきた。でも、芸術の価値を評価するのは正当な報酬を払うことなのよ。」と。