ぼくの中の「中島みゆき」
〽今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて もう二度と笑顔には なれそうもないけど そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ だから今日は くよくよしないで 今日の風に吹かれましょう 中島みゆき『時代』
心のなかに嵐が吹き荒れていたあのころ。そう、もう少しで世界は変わる寸前だったのに、ぼくたちは「暴力学生」とレッテルを貼られ、あろうことか暴力的に排除され、いつのまに卒業証書が送られてきた。 生活のためにはしかたないさと精一杯の虚勢を張って、社会人といわれる一人になった。「社会の歯車になることを、あいつは頑なに拒否したそうだ。」そんな友のウワサにさえ傷ついた日々。 この歌手は、きっと俺たちと同じ経験をし、同じように傷ついたのだろう。そんな気がしたのだった。 ところで、中島みゆきのファンと松任谷由実のファンは、互いに相容れないのだそうだ。 そうかもしれない。若いころ、ユーミンの歌にはなぜか馴染めなかった。もちろん「中央フリーウェイ」みたいに、よく知っている光景が出てくれば親近感を覚えることもなかったわけではないが、彼女の表現するハイソな世界は自分とは別世界だという思いがしたものだ。あんなお気楽な学生生活はとは無縁だった。 もっともあのころは、中島みゆきの歌といえば、1975年のつまごいポピュラー音楽コンテストでグランプリをとったこの「時代」しか知らなかったけれど。 しかし「時代」は、敗者の気分で鬱々としていた当時、目の前の暗闇にかすかに光が見えたような、ささやかな希望を感じる気持ちがしたものだ。 後で、「時代」という歌には、医師だった中島みゆきの父親が亡くなったという背景があるのだと誰かが書いているのを読んだ。「今日は倒れた旅人」とは、その父親のことなのだと。それでも、歌は作者を離れて独り歩きするものだ。ぼくにとっての「時代」は、若者たちのパワーが、挫折し倒れていったあの時代のことだ。 しかし、実は中島みゆきが気になりだしたのは80年代になってからだ。暗い、暗すぎると評する人もいた。でも、バブルに浮かれていたあの時代、そこから弾かれざるを得ない人(特に女性か?)に寄り添った歌を作り、歌う人間は他にいないのではないだろうか。演歌だってあれほど絶望的ではない。 輝けば輝くほど闇も深いという。その闇を歌うのがみゆきだと思う。
いつも思うのだが、中島みゆきは「声の多重人格者」だ。曲によって全く異なる声で歌っている。いや、一曲のなかでも刻々と声が変わっていく。 はかなげな声、悲しい声、恨みをこめた声、秘めた怒り、爆発した怒り、あきらめた笑い、開き直り、絶望etc. 中島みゆきに何者かが憑依して表現しているようだ。彼女は単なる歌手、いやシンガー・ソングライターではなくて、全身全霊で演じ表現する表現者なのだろう。
1994年にNHKで放送された番組が、今年3月にアーカイブ放送されたらしい。その再放送が先日あったのだが、「夜会」を記録した映像に改めて戦慄を覚えたのだった。
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