40年前、アメ横のガード下の歩道に出ていたワゴンに下がっていた茶色の革のかたまりを見た時、「これはあれじゃないか?」と思ったのだった。あれとは、ウェスタン映画で牧童がズボンの上につけているはかまのようなやつだ。テレビ映画の「ローハイド」、つまり生の革というのもそれのことだ。たまたま英和辞書をめくっていたら、それが絵つきで出ていた。「chaparajos」。元はスペイン語でチャパラホスと読むそうだ。
そこで、ワゴンのおじさんに「これはチャパラホスですか?」と尋ねたのだが、「何だって、これのこと? さあ、なんというのかねえ。」という返事。
「ほら、カウボーイがつけるやつ。」と言っても、わからないというばかり。わからないものを何のために売ってるんだ? こっちこそわからない。
だが根拠のない確信があって、買うことにした。映画で見るものより粗末で、装飾は全くなくて実用本位なのだが、装着してみると、あの「ローハイド」のフェイバーさんが着けているのと似たフォルムではある。
しかし、そんなものを買ってどうするつもりだ? それまで半ば居候していた乗馬クラブは埼玉に移転してしまった。(半ば居候というのは、夏休みと週末に住み込んだということで、部活の顧問を引き受けなければ堂々と休めたのだ。当時の教員は夏休みに出勤しなくても、学校とはそういうものだとだれもとがめはしなかった。今では『税金泥棒』と言われてしまうから、仕事がなくても出勤してクーラーにあたって時間をつぶし、あげくに風邪をひかなくてはならない。)一緒に行こうと誘われたのだが、そのためには公務員を退職しなければならず、その覚悟と勇気はさすがになかった。数年で神奈川の馬場を全て引き払うような経営体質に人生を賭けるのは危険だという予感もあったし。
その後、伝統ある(?)横浜乗馬クラブに入会したけれど、閉鎖的かつ保守的なブリティッシュ乗馬の世界が蔑視するであろうウェスタンの道具を持ち込むわけにもいかなかった。
教員の想像を絶する忙しさ、結婚したので家庭サービスもあり、結局乗馬は年に数回行くのがやっと。疎遠になるほど、常連会員の冷たい視線を感じ、昔居候していたクラブの開放的で底抜けの明るさとは全く異なる雰囲気に次第に嫌気がさし、ますます行かなくなり、ついに脱会してしまった。
その後、年に数回だが朝日カルチャーを使って御殿場の「アルカディア」に通った。芸能人などセレブが多数入会しているクラブである。ここにはウェスタン部門もあり、カルチャーの場合、レッスン1時間、外乗1時間というメニュー。外乗には例のチャップスをつけて意気揚々と乗ったものだ。
現代のチャップスはジッパーがついたスリムなタイプで装飾に長いフリンジがついていたりして、ぼくのアメ横スタイルのものは珍しがられたものだ。あまりに粗末なので革のコンチョを金属に付け替えたり、ベルトを上部なものに取り替えたりしたのだが、すぐに縫い目がほつれ、ついに革に裂けてきた。思えば、あまりに長く放置してきたのだ。
ところで、70年代終わりごろ、レザークラフトがブームになったことがある。そのころ風疹に感染して10日ばかり出勤停止になったことがあった。暇を持てあましてレザークラフトの本を熟読し、釈放後、早速道具と材料を買い揃えて製作にふけったのだ。当時のショップが1軒だけ潰れずに残っていることを思い出し、幸運にも床革という安い裏革を1頭分買うことができた。型をとって裁断し、左右をつなげるのはベルトを縫い付け、金属のコンチョをつけて、初代のものよりそれらしくなった。そうだ、革の色もそれまでの焦げ茶から、キャメル(ベージュ)に変えた。これだと使い込んでホコリにまみれた感じがするからだ。それが冒頭の写真である。
退職して酒田に移り住むと、幸運にも空港の近くに乗馬クラブがあった。インテリアショップを経営する人が道楽で作ったクラブで、本人はブリティッシュだが、買いそろえた馬の中にウェスタンの調教を受けたという豹柄のアパルーサがいた。
乗ってみると、確かにモンタナというその馬はウェスタンの調教を覚えていて感動した。たとえば、通常馬術は騎座と脚(つまり座る姿勢とふくらはぎの圧迫等)で馬を操るとされるのだが、究極のウェスタン馬術はウィスパリング、つまり馬の耳に言葉を囁いて動かす。並足はwalk、速歩はjogと命じ、駈歩に至ってはkiss、つまり「チュッ」と唇を鳴らす。停止はウォー(スペル不明)である。付け加えると、手綱は片手でゆるく持ち、左右のターンは手綱を持った手(こぶし)をわずかに進む方向に動かす。決して騎手が状態を傾けてはならない。(これが意外に難しく、自転車やバイク、それにブリティッシュをかじった者は無意識に傾いてしまうのだ。)このような高度な調教を受けた馬は、初心者が乗っても思い通りに動いてくれる。
以前、前述したクラブ、アルカディアの「運動会」で、「ことひら」という競技(乗馬による椅子取りゲーム、椅子ではなく仕切られた柵を使う)で優勝してしまったことがある。このとき、常連会員が選ばなかったみすぼらしい馬が、実は高度な調教を受けていて、招待されたビジターに過ぎなかったぼくが優勝してしまったのだ。
とまあそんなわけで、モンタナにもこのウェスタンの馬具をつけてウェスタン風に乗ってみると、すぐに教えこまれたことを思い出してくれたのだった。
圧巻はスライディングストップという、駈歩から急停止する技。ウォーという合図で前肢を踏ん張って停まる。すると後肢が前肢の内側に滑りこむのだが、無理に手綱を控えてもうまくいかない。しかしウィスパリングができれば、馬が半ば自分の意志で停まるのなら、まるで名人が乗っているように見えるわけだ。
写真はモンタナ。アパルーサは、アメリカのネズ・パーズ族(フランス語のネ・ペルセ、鼻飾りの意味らしい。)が作った品種で、お尻に豹柄があるのが特徴。このように全身が豹柄のものは日本では珍しいという。蹄に病気を持っているのが難点で、冬になるとほとんど歩けなくなるのが可哀想だった。
残念ながら、2011年3月に、馬場は閉鎖されてしまう。震災があったころだが、震災とは無関係で経営的に苦しくなったのだろう。馬たちは上の山などの馬場に移された。
ぼくのチャップスは、写真のように二階の納戸、通販で買ったウェスタンの鞍の横に寂しくぶら下がっている。次に使う機会があったなら、再び劣化しているのかもしれない。