1964年に第一次佐藤内閣の閣議決定で勲一等旭日大綬章を受章したアメリカのカーチス・ルメイ空軍大将を知っていますか。
彼は、1945年3月10日の東京大空襲で、死者行方不明含め10万人以上、被災者100万人以上、焼失家屋25万戸させた指揮官です。そればかりか彼の指揮下で、8月6日の広島への原爆投下もしています。
普通の感覚で、この二つの事項をつなげて理解することができますか。日本人の寛容さには感服させられます。さすがに昭和天皇から直々の授与はなかったようですが。
この事実からしても、もしその友(アメリカ)から中東へ自衛隊の出動を依頼されたら、憲法解釈を変えた今、まず断ることはできないでしょうね。
カーチス・ルメイ wikipediaより
カーチス・エマーソン・ルメイ(Curtis Emerson LeMay, 1906年11月15日 - 1990年10月3日) は、第二次世界大戦期のアメリカ合衆国の軍人。 カーチス・E・ルメイは1906年11月15日にオハイオ州コロンバス (オハイオ州) コロンバス市で6人兄弟の長男として生まれた。父は職業を転々とする放浪者。母は教師。地元オハイオ州立大学に進み、在学中に陸軍予備士官課程を修了、卒業しないまま国境警備隊を経て陸軍に入隊した。幼少時代より飛行機乗りにあこがれ、1929年にパイロット資格を取得、その後爆撃飛行隊に所属。 第二次世界大戦開戦当初ルメイは無名の大尉であったが、その後(あだ名:鉄のロバ)中佐に昇進し英国に渡り、第8空軍 (アメリカ軍) 第8空軍の一員として、ドイツ爆撃を指示。1944年に少将となったのちその活躍は世界に名を轟かすこととなる。
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