「生まれた娘に会うまでは絶対に死ねない」と言い続けた男が、なぜ特攻隊で死んだか。
その謎を当時関わった人たちへの取材で解明していく中、日本海軍いや日本の指導者組織が持っていた奢りをあぶりだしていく会心作でした。
当時、戦争を指揮していた将官クラスは、海軍兵学校を出た優秀な士官の中から更に選抜されて海軍大学校を出たエリートたち。どうやって敵を打ち破るかではなく、いかにして大きなミスをしないようにするかということを第一に考えて戦っていた。
大本営や軍令部が考えた作戦、ガダルカナル、ニューギニア、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、インパール作戦は、強気というよりも、無謀というもの。何故か、それは自分たちが死ぬ心配が一切ないからだった。ところが、自分が前線に立ち死の危険性がある時は、逆にものすごく弱気になり、勝ち戦でも反撃を怖れて、すぐ退却した。
真珠湾攻撃の時、現場の指揮官クラスは第三次攻撃を進言しているにもかかわらず、一目散に逃げ帰った南雲長官。
珊瑚海回戦で、敵空母レキシントンを沈めた後、ポートモレスビー上陸部隊の支援が本来の任務にもかかわらず、引き揚げさせている井上長官。
第一次ソロモン海戦で、敵艦隊を破った後、それに満足して敵輸送船団の撃破が目的なのに敵輸送隊を追い詰めずに撤退した三川長官。
レイテ海戦で、謎の反転をし勝機を逃した栗田長官。枚挙にいとまがない。
そして、高級士官は、作戦を失敗しても誰も責任を取らない。
ミッドウェーで、大きな判断ミスをやって空母四隻を失った南雲中将。
マリアナ沖海戦の直前に、抗日ゲリラに捕まって重要な作戦書類を米軍に奪われた参謀長の福留中将。
ノモハンで、稚拙な作戦で見方に大量の戦死者を出したにもかかわらず、責任を問われることもなく、その後も出世し続け、またもや信じられないくらい愚かなインパール作戦を立案して三万人もの兵士を餓死させた牟田口中将。
それは軍人だけでなく、真珠湾攻撃の時、ワシントンの駐米大使館員の職務怠慢で宣戦布告文書が遅れた件でも、世界から「日本人は卑怯な騙し討ちをする民族」という耐え難い汚名を着せられたにもかかわらず、誰もその責任を取らされていない。
特攻作戦を指揮していた多くの者が、「お前たちだけを死なせはしない。自分も必ず後を追う」といって送り出しておきながら、戦争が終わると、皆知らん顔をして、まるで自分には何の責任もないような顔をしていた。それどころか「特攻隊員は志願だった。彼らは純粋な心から、国のために命を捧げた」という輩が大勢いた。
その最たるものが東条英機、自らが出した戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」により、何十万人の兵士が落とさなくていい命を亡くしていったことか、にも関わらず、自らは自殺未遂で生き長らえた。
ここで、ふと重なるのが、原子力政策を推し進める経済産業省や今回の特定秘密保持法の防衛省、外務省の官僚たちです。
福島第一原発事故で、責任を取った経産官僚がいたでしょうか。