1年5組鶴田くん28歳逝去の物語1
僕が鶴田友優くんと出会ったのは、鷺宮高校の1年5組の時だった。最初に話しをしたのは、クラブ活動の事だった。何を選ぶかだった。彼は山岳部を選び、僕はバスケットボール部を選んだ。彼はハンサムだったので、すぐにガールフレンドが出来た。 吉田悦子さんだった。彼女は特別、美人ではなかったが、スタイルは良かった。 じきに一学期の試験になったが、僕は何と数学が14点だった。それで、先生に呼ばれて「これでは進級出来ません」と言われた。 それを父に言うと、慌てた父は家庭教師を付けてくれた。おかげで僕は進級できた。でもバスケットボールはやめた。鶴田くんも、山岳部を長くはやらず、進級も出来た。僕らの学校では落第生が毎年7,8人はいた。無事に2年なると、コース制になった。これは、成績別に分けられていた。僕らは同じHコースだった。これは成績の良いコースではなかった。でも余り勉強しなくても何とか3年になった。3年は進路別のクラス替えだったが、僕らはまた3組で、同じクラスだった。彼も僕も勉強はあまり好きではなかったが、何とか卒業式をむかえた。 大学の受験には僕らは失敗をして、浪人になった。予備校は同じ、高田の馬場にある、早稲田学院にいった。夏になって、僕らは、小諸の学生村へ行った。でもやはり、勉強はしないで、雑談ばかりしていた。横浜から来た学生は気の良いひとで、面白い替え歌をおしえてくれた。「人の身に我が身を入れて揺さぶればー」などという歌だった。 やがて東京に帰っても、僕らは、新宿のモダンジャズ喫茶でブラブラしていた。そして、受験のシーズンがきた。僕らが受かったのは日大だけだった。彼は経済学部で僕は法学部だった。教養課程は下高井戸にある文理学部だったので、彼とは良く会った。 だが、学園紛争がはじまり、学校はバリケード封鎖になった。それで、アルバイトをすることにした。東京駅にある、山本山が見つかった。 でも、僕ら海苔のことなど全くわからないので、
2につづく
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