しばらくぶりの横浜は、あまり変わっているようには見えなかった。宿泊は伊勢佐木町近くのWホテル。忘れもしない、退職から1年後の3月に泊まったことがある。最後に担任したのが中学2年生だったので、彼らの卒業式のお祝いがてらのぞきに行ったのだ。図々しく職員のご苦労さん会にまで参加してしまった。当時まだ横浜の家がそのまま残っていたので、そこに泊まればいいと思って安心していた。二次会は遠慮して元同僚と別れたところで、鍵を持って来なかったことに気づいた。
やむを得ない、ホテルでも探そうと思ったが、思い当たるのが2つだけ。一つは、昔、飲み会の後で二次会場を探していて、間違えて入りかけたK駅近くのラブホテル、もう一つがWホテルだった。Wはいかにも高級ホテル風だったが、背に腹はかえられぬというわけで飛び込んだ。
「お一人様ですか?ダブルしか空いていないのですが。」
「しかたがない、それでお願いします。」
というわけで、広すぎるベッドに一人で寝たのだった。
今回は、ネットで空き室検索をしてようやくみつけたのが同じWホテルだったというわけ。なにしろまだ春節の期間内ということもあり、中国からと思われる団体客で混み合っていた。おそろしく賑やかなのと、服装がけばけばしいのと、ゴミが散らかっているのが気になったが、日本人の団体だって、地元の人が見れば気になる存在だろうと思うことにした。
しかし、翌日、中華街を歩いてみると、案の定中国人観光客でごったがえしている。中国から来て、なぜ中華街に行きたがるのかは永遠の謎だ。いかにも中国らしい街はもはや本国にはないのか?
横浜市民はあまり中華街には行かないようだが、ぼくたちはよく行ったものだ。お気に入りは、根岸で下車し、クリフサイドから森林公園経由で山手の異人館通りを通り、元町に降りて中華街の行列のできない北京料理店で昼食を摂るというトレッキングコースだった。アジアの雑貨を扱う店がいくつもあるし、中華食材や紹興酒が買えるし。今回はどこにも寄らず、人混みをかき分けて素通りしただけだったが。
関帝廟
さて、帰りの飛行機。往路は嵐の予報だったが、意外にも静かな飛行だった。帰路は、前夜の低気圧が太平洋岸を北上し、東北は大荒れという予報。しかし関東地方は穏やかで暖かく、フライトも安定しているらしくほとんど揺れなかった。右の主翼のすぐ横に月齢13.5の月が見えていて、一直線に飛行していることがわかる。
しかし、着陸態勢に入り、雲海に突入するといきなりガタガタと揺れ始めた。雲に下にいきなり大きな川が現れる。最上川、舟下りの船が行き交うあたりだ。やがて狩川の風車村、赤い橋、雪の消えた庄内平野を横切って空港に向かう。後ろの男性客が「あぶない、あぶない」と繰り返す。地面が迫ると機体が左右に揺れる。横風を受けているのだろう。しかし、何事もなかったように着陸。(冬の庄内空港では珍しいことではなく、パイロットをたたえて拍手が起こることもある。)
「みなさま、『美味しい庄内空港』に着陸いたしました。」のアナウンス。そうだ、去年、庄内と山形の空港は「美味しい◯◯空港」と命名されたのだった。言う方も恥ずかしいだろうが、聞く方もかなり恥ずかしい。恥ずかしさを感じることで、自分も庄内人になったのだと実感する。
ANAと月の女王