広島府中町の中学生自殺事件から考えたこと
中学生が進路指導後に自殺したという広島県府中町の事件は、指導資料の誤記が訂正されていなかったことが原因だと報道されている。あってはならないことであり、痛ましい限りだ。担任が数回の面談で確認したというが、実態は数分間の立ち話だったというのも耳を疑う。 しかし、この報道の裏にはさらに重大な問題が隠れていないだろうか。 この学校では、「専願」受験の場合、中3での非行歴があれば推薦をしないことになっていたが、今年度から中1まで遡ることになったというのだ。誤記以前に、この基準はどうなのだろう?(受験の基準は地域で統一されているはずで、1校独自というのはそもそも考えにくいのだが。) 現世田谷区長の保坂展人氏の「内申書裁判」を思い出す。彼は、麹町中の生徒だったが、内申書(調査書)に「全共闘で活動」と書かれていたため、受験校全てで不合格になった。保坂氏の訴えは最高裁で棄却されたが、個人情報保護が叫ばれている現在だったらどんな判決になっただろうか。 横浜の中学校の場合(もちろん横浜の受験システムも問題は多いのだが)、非行など本人にとって不利な理由で推薦しないとか、調査書や推薦書に記述するとか、受験校に知らせるなどということは決してしないというのは共通したルールだった。中学生の年代では、想像もつかないようなとんでもないことをやらかすものだ。万引き、家出、「子どもが包丁持って暴れています」、「携帯で公園に呼びだされています」……。ある人は、それを非行ではなく失敗と呼ぶ。人は失敗から学び、成長するものだと。失敗しない人間はいないのだと。 もちろん、今目の前で暴れている生徒をそのまま学校推薦というわけにはいかない。それでも校長室に呼んで、これからは遅刻もせず授業も抜け出さないと約束させ校長と握手すれば推薦書を出す場合もある。推薦書はもらえねえぞと脅す担任と、まあまあ、生活態度を改めれば推薦しないでもないぞとなだめる校長のように、悪い刑事と良い刑事ごっこを演じるわけだ。(役割を逆にする場合もあるが。)当然一般生徒や教員の中から轟々たる非難も出れば、不満もくすぶる。だがそれがごく普通の学校の姿なのだ。 そういう意味で、報道の通りならこの学校の基準には首をかしげざるをえない。
もう一つの感想は、やはり学校の事務処理の電算化は問題だなということ。くだんの「誤記」はエクセルなどを使っていて、「万引き」という非行歴を貼りつけるセルを間違えたのだろうか。いずれにしてもこの資料は生徒指導のための内部資料であり、作成当時、受験の資料として使うということは想定されていなかったという。たぶん、単なる記録のための資料であり、教員がふだん目にすることも使用することもなかったのではないだろうか。(まあ、クラス編成の資料にすることぐらいはあったかも。)しかし今や学校現場には電算化の嵐が吹き荒れている。通信簿も調査書もコンピュータで作成する時代である。授業での評価、小テスト、定期テスト、課題の提出状況、授業態度、発言態度全てが数値化され、そのデータが入力される。すると、数学オンチには理解できないような数式によって評定(5段階とかABCとか)に置き換えられる。連絡表や調査書には自動的にその数値が記入される。(広島の場合、使用が想定されていないはずの生徒指導資料もオンラインされてしまったのだろう。) 人間の作業には誤記が起こり得る。まして息つく間もないほどの超多忙な学校現場である。バグが侵入することもあろう。しかし、なかなか気づけない。気づいてもだれにも修正できない。システムを売り込んだ会社の専門家が派遣され修正に取り組むが、その間仕事はストップする。退職前、よく目にした光景である。これでは遠からず学校は破綻してしまうと思ったものだ。 あまりに誤記入が多いからと、横浜では調査書の下書きを本人、保護者に開示することになった。(数値のみ。文章による評価は非開示。)それでもやはり誤記はあり、(学校ではなく)市教委にクレームが届くのだ。 ここから派生する問題の一つに、教員が四六時中コンピュータのモニター画面を見つめ続けることになり、生身の生徒に向き合えなくなってしまうということがある。教員の超多忙とは、物理的に多くの時間を授業以外のことに奪われるということとともに、人間を相手にすることを生きがいとしてきた教員が、コンピュータに縛られ、支配されていると感じる「疎外感」も大きな原因なのではないだろうか。
正直に告白すると、電算化によって学校の事務処理が楽になった部分もある。そのかわり、しなくてはならない仕事の量も激増している。悩む必要もなくなる。データを入力すれば、機械が自動的に計算してくれる。一人ひとりを思い浮かべる必要もない。だが、たとえば教師の個人的な価値観に頼らざるをえない作文の評価を数値化し、漢字の書き取り、文法の知識などの得点と合計することが、正しい評価と言えるのか。
さらに思ったことは……、マイナンバーのことだ。やがて私たちに関する様々なデータが、私たちの知らないだれかによってこのナンバーに書き加えられるのだろう。学歴、職場、趣味、思想信条の傾向、支持する政党、資産、逮捕歴etc. 広島の事件のように、誤記入(または意図的書き換え)があり、本人の知らないままそれが一人歩きする。そんなSF映画のようなことが近い将来起こり得るのではないか。恐ろしくてならない。
|