鳥海山7合目の鳥海湖畔で、カラスのカップルに出会ったことがある。こんな高山に何をしに来たのだろうか。登山客は多いが、弁当の残りを捨てる人はほとんどいないし、餌になるようなものがあるとも思えないところだ。
それで、弁当をたべながらチラチラと彼らを見ていたのだが、時々場所を変えてみたり、空に舞い上がってみたりはするくらいで、食べ物を探しに来たようには見えなかった。
きっと、彼らは遊びに来たのだ。それも集団のカラスのようななりふりかまわない乱暴な遊びっぷりではなく、おとなしく上品にさえ見えたものだ。あれはカラスのデートだったにちがいない。
今日も、八森公園でカラスのカップルに会った。ハシボソガラスのカップルだ。2羽は芝生の上を歩いて、虫などを探しているようだった。互いの距離はかなり開いている。
1羽が何かを見つけてくわえ、もう1羽の方に小走りにかけよった。相手はまるで雛鳥のように翼をパタパタとふるわせて口を開けた。すると走っていった方は、優しく口移しにくわえていたものを入れてやったのだ。
へ~え、見せつけてくれるじゃん、カラスのカップル! なんてつい横浜弁が出てしまったりして……。
東京に住んでいた小学生のころ、家から1時間ほどかけて明治神宮に遊びに行ったものだ。ある時、カラスの羽根を拾って喜んでいたら、友だちが「縁起が悪いから捨てろよ」と真剣な顔で言った。これにはびっくりしてしまった。カラスが縁起が悪い、つまり不吉だなどと本気で信じる子どもがこんなに身近にいたのだと。
つい最近も、近所にカラスの集団ねぐらがあって不愉快だという投書があったが、実際の迷惑というより、カラスへの偏見が先行しているような印象を受けた。
それで思ったのは、これは一種の「ヘイトスピーチ」なのではないかということだ。カラスに対する嫌悪感、偏見があるために、カラスを客観的に見ることができないのだ。
「お前はカラスが好きなのか?」と言われそうだ。昔懐かしいアメリカのウェスタン映画では、人が「インディアン贔屓」とか「黒人贔屓」などというレッテルを貼られるのは致命的なことだったようだ。
いいや、ぼくは特段カラスが好きなわけではない。ただ、偏見抜きに見ていると、やつらはおもしろいしなかなか憎めないさまざまな習性や行動をみせてくれる隣人(?)だ。
町内の隣人が気に食わないからといって、付き合わないわけにいかないようなものだ。なにはともあれ共に生きていくしかないではないか。それなら嫌いだと思わずに付き合ってみれば、存外いいやつだったりして。
写真は今日会ったハシボソガラス。2羽が近づいた決定的な瞬間は撮り損なってしまった。