今日はちょっとひま
庄内地方も春めいてきて、晴れの日も多くなってきた。そのかわり放射冷却というやつで、朝は霜が降りている。実はこちらでは霜を見ることは珍しく、テレビ・ラジオでも農作物を霜から守るように呼びかけている。早い春の訪れで、例年なら殻に守られている植物の芽が早くも出てきてしまい、霜にやられてしまうのだそうだ。内陸では露地物のサクランボは気をつけるようにと。(でも、どういうふうに気をつけるんだろう?茶畑のような扇風機は設置されているのだろうか?) きのうもラジオのアナウンサーの言葉が気になった。つまらないことが気になるのはひまだからだけれど。「再建されようとして……」ってどういうことだ?敬語を使う場所が違いやしないか?敬語を外せば「再建しようとして……」で、「再建する」と「する」の二つの動詞がある。二つすべてを尊敬語にするのは二重敬語で避けたいから、どちらか一方を尊敬語にする。ここまではよい。しかしこの場合、後の「して」という方を尊敬語にするべきだろう。つまり「再建しようとされて……」いや「再建しようとなさって……」が正しい言い方ということになる。 ついでに言うと、ちかごろ助動詞「れる・られる」をくっつけるだけの安易な尊敬語が出まわり、その結果、関西弁の「はる」のように、尊敬の意味など吹っ飛んでしまっているような気がする。ほら「ネコが餌食べてはるわ」のような。「なくした傘、無事に返ってこられたんですね」って、だれに敬語使ってるわけ? 若いころは、敬語なんてって馬鹿にしてたたけれど、言葉遣いには、その人の品格や優しさが透けて見えるから、馬鹿にはできない。鎌倉の裏通りで老婦人たちが交わしていた言葉が東京の山の手言葉だったり、横浜で江戸弁を聞いたりすると、懐かしさにドキドキしてしまう。 黒柳徹子は若いころ「早口で、蓮っ葉な現代人」の代表のように言われていたのに、今では由緒正しい山の手言葉を話しているように聞こえるのは不思議だ。 さらについでだけど、「~です」というところを「~になります」というのはおかしいっていうのはいわゆるファミレス敬語でさんざん言われたのに、今では、アベノミクスの果実とかいうやつよりも速く、全国津々浦々に浸透してしまっている。「こちら、名物の酒田ラーメンになります」なんて大真面目に言われたら、「いつなるの?」なんて突っ込んでも通じなさそうだしなあ……。
やはりラジオで、タレントのYが「ナスが大量に送られてきたんだけど、どうしたらいいかなあ?」と言っていた。それに対して送られてきたリスナーからのメールはほとんどが、ナス料理のレシピだった。 こちらなら「近所に分けてしまえば」と言いたいところだ。「おすそわけ」などということばは、こちらにはないようだけれど、当地ではものを近所に配るのはごくふつうの習慣なのだ。いや、遠くの知り合いにまで届けに行くこともある。連れ合いの友人は、子どものアルバイト先のレストランで残ったゆでパスタやトマトソースや白飯などを届けてくれる。失礼かもなんてよけいな気を回さないのがよいところだ。(このレストランも、残った食材を捨てずに、持ち帰らせるところは偉いと思う。) バンドの友人は、数キロ先の実家で畑を作っているが、トマトやナスなどの旬の野菜を毎日のように届けてくれる。 散歩ですれ違うだけの人が、釣った魚が余ったからと、届けてくれたこともある。 ただひとつ困ったのは、秋に森でとったキノコをもらった時で、本当に食べても大丈夫なのか、「心配なキノコはまず人にやって、相手が翌日無事なら食べても大丈夫」なんていうジョークがあるくらいだからそっと捨てたのだが……。
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