早稲田大学春秋会だより 平成24年1月16日
早稲田大学春秋会新春の集い
時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は春秋会の活動にご協力いただき厚く御礼申し上げます。下記の通り新春の集いを開催致しますのでご通知申し上げます。なお当日の講演は二部構成。第一部には会員の大隅乙郎氏を講師に招き「裁判官の生活と意見」という題でお話を頂き、第二部は鈴木敏雄氏にハーモニカ演奏をしていただきます。皆様のご参加をお待ち申し上げます。
日 時 : 平成24年 2月 5日(日)午前11時より 場 所 : 大隈会館301・302号室 講演第一部 : 「裁判官の生活と意見」 大隅乙郎氏 講演第二部 : ハーモニカ演奏 鈴木敏雄氏 会 費 : 5,000円
また、新春の集いに先立ち、当日の午前10時00分より「紺碧の空」歌碑に献花を行います。 お時間のご都合のつく方は大隈会館前「紺碧の空」歌碑前にお集まり下さい。なお、出欠については同封の返信ハガキにて平成24年 1月31日(火)までに返信の程お願いいたします。 お問い合わせは下記まで 早稲田大学春秋会事務局 TEL 045-242-3521 FAX 245-241-8768
第109回秋季総会の報告
旗を立てることが出来ない状態。時雨嵐の中。松田三郎兄、守屋、諸江氏らを中心にして工夫している様は春秋会魂がみえる。「紺碧の空」の斉唱は不可能とあって高原幹事長の二礼二拍手参拝は彼らし い純粋さがあって微笑ましい。何しろ寒い。大隈会館201、202号室前に人々の顔々が見える。 若い新人達、学生が手際よく受付をする。激しい降りに御足の御不自由な方、御体がはっきりしない方は急な欠席。これはいたしかたないこと。パーティ形式を上手にすることを考えることが大切。大野富士生兄に御面倒かけぬように。然し、三木一郎、片岡重高、戸塚孝吉先輩ら、ぞくぞく参加。残念なことに出席予定の園田天光光女史は欠席。山梨から後藤臣彦兄参加。 第一部司会を大石和礼事務局長。渡部会長欠席のため、小川光治会長代行による丁寧なる御挨拶。 第二部は久し振りの講演会。月刊『日本』主幹・南丘喜八郎氏による「甦れ日本」。 南丘兄は声の質が耳に快く聴きやすく、すらすらと入って来て胸にすとんと落ちる。歴史に関して今の時世に対しても只慧眼というのでなく南丘流の目で耳で胸で受け止めたものを哲学的に自己分析して伝えてくれる。月刊日本を卓に置いているが、それは確認のためであって、聴衆の目を見ながら語る。仲々得がたい人物であり、春秋会でシリーズ勉強会をすること大切。講演内容については、12月15日迄、次に去年中と約束を交わしたが1月8日現在着かず。伺った方々は感じ入ったと推察する。 第三部懇親会の司会は高原 孝幹事長。乾杯は天光光女史に代わって片岡重高大先輩。すでに雨は上がり、冬日がさしている。歓談ではにぎやかすぎて、マイクを通しても仲々聞き取りにくい。「懇親会の前に一人三分ぐらいで話される方法をとったら良いのではないか」と想った。 久し振りの慶応出身・浅倉俊之介氏のお話ぶりはなつかしい。欠席の両鈴木先輩のお顔も見たいもの。森木 亮氏の「日本国債について、全国銀行協会長・三菱東京UFJ銀行頭取・永島克典氏と語られたことを報告され、2013年に破産確率は100%とか。国家破産は目前と。」はっきりおっしゃる経済学者である。大隈講堂での野中信男氏。12月26日に「オルケスタ・デ・タンゴ・ワセダ」無料ご案内。若い上谷修一郎氏の活動報告。受付をして下さったイケメン若手は各々の個性で自己紹介して下さった。信井文夫氏、多用の活動状況を貫録で語った。後藤臣彦氏、常に石橋湛山先生の存在の大きさを語る。戸塚孝吉常任相談役、杖を右手にさながら老侯のよう。お元気になられて一安心。口上は確か。 今回は校歌斉唱の指揮は山下政行元応援団長と石田明人副幹事長。迫力ある指揮。山下さん、お体を大切に。閉会の辞は常の坂東能道副会長がゆっくりと春秋会を語る。大きな和が輪になっていく。各々の感性で春秋会を大切にすることが大事と思う。野中信男氏、戸塚大先輩を新宿小田急へ送る。さあ、次は権太坂、日本橋西川前、駅伝です。 (伊藤哲子記)
参加者(敬称略あ順) 青葉ひかる、浅賀達也、浅倉俊之介、安藤良男、安楽明郎、石川洋三、石田明人、猪瀬敏彦、石橋直幸、伊藤彰規、伊藤哲子、猪之原菖子、大石和礼、大野富士生、小川光治、小川 徹、小野寺敏、片岡重高、上谷修一郎、木村裕一、黒瀬笑子、小高俊久、後藤臣彦、坂木文雄、山藤 卓、重満武和、柴田親宏、新澤雄一、末広 崇、鈴木昱生、春原興治、関 広義、高原 孝、出川達郎、戸塚孝吉、中里 隆、野中信男、信井文夫、長谷川弘、坂東能道、深井伸治、正岡文人、松田三郎、松原邦博、三木一郎、村田春樹、森木 亮、諸江昭雄、守屋 孝、山下政行、山田 榮 以上51名
早慶ラグビー観戦記
伝統の早慶戦は、早大の圧倒的な猛攻で三年振りに勝利を挙げた。前節の対帝京大戦に於ては、Fwに垣永を欠き又FBの井口をも欠いたメンバーであるのと、SOに新人小倉を起用せねばならない非常事態で試合に臨み健闘したが1トライの差で惜敗してしまった。 充分な練習を積み重ね臨んだ今回の試合は、お互いのPGによる得点で、互角のスタートを切った。前半の15分に新人SO小倉が、防御の意識が外側に向いているのを見抜き、縦に走り抜け、防御の裏へと出て、次のパスをTB布巻に継ぎながら、主将のFL山下の最初のトライを生み出して8対3とした。その後一度慶応大にラインを割られ、真ん中にトライをされ、Gを許し8対10となる逆転される危ない試合運びであったが、SO小倉の大胆なキックパスが成功して、TB原田中霜の活躍で勝負を決した。No8大峯、SO小倉、CTB布巻の早大1年生トリオの溌剌とした動きで、次々とトライを重ねて、10対34の大差で前半を終わった。この間早大スタンドでは、積年の鬱憤を拭い、この得点で安全圏に入った勝利であると、大騒ぎの観戦であった。 後半に入るとパントキックを多用して次々とバック陣を走らせトライを重ね、前後半を合せて24対54と6年振りの50点台スコアで今季最高と思われる試合で慶応大を倒した。この試合を振り返ると、ブレークダウンの攻防を決めて多くのターンオーバーを奪う快挙と、早大が後半に見せた久々のモールに依る、スクラムトライを挙げたことは早大にもまだあの様な事が出来る力があること嬉しく見た。又反面相変わらずパスミスが多く、しっかりしたハンドリングが出来ていないことと、反則の多いことは毎試合通例である、反則はその都度チャンスを失うことであるので大いに注意してほしい事である。 対抗戦で達成出来なかった優勝を、来る大学選手権で達成して欲しいと思う。 (春原興治記)
箱根駅伝応援
1月2日午前7時40分、早稲田大学春秋会事務所前に小川光治会長代行以下8名集合。昨年暮れの30日には幟を8本場所取りの為地元の山藤 卓氏に預け正月二日早朝よりお孫さん二人と共に権太坂上に準備され早稲田大学の幟が翻っている。 東京武蔵野市より諸江昭雄氏、川崎大八氏、又長野県駒ケ根市より去年と同様2区ランナー平賀翔太君を応援の為、川手弘昭父子がかけつけ、毎年ながら古川淳一氏が車にて陣中見舞いと称し日本酒の差し入れがあり寒風吹きすさぶ中コップ酒にて体を温める。幟の組み立てを総勢20名にて準備完了。ラジオ実況放送を聞きながら選手の近づくのをしばし待つ。その間応援歌「紺碧の空」早稲田大学校歌を全員にて斉唱、大いに盛り上がる。午前9時45分権太坂上に早稲田のエース、華の2区の平賀翔太君が先頭にて通過。拍手喝采、さすがエース。長野県駒ケ根市から応援に来た川手氏大喜び。各大学が通過後応援用具を撤収し懇親会場へ向かう。毎年行きつけのファミリーレストランなので大いに歓迎されている。自己紹介を兼ね今年の抱負を語り合い、盛況のうちに終了。春秋会事務所に戻りテレビ観戦、往路2位にて到着を確認後家路につく。 (高原 孝記)
参加者(敬称略あ順) 大野富士生、小川光治、川崎大八、川手弘昭、小高俊久、柴田親宏、春原興治、 高原 孝、成瀬晴代、坂東能道、福島光政、前田和子、守屋 孝夫妻、諸江昭雄
春の墓参会のお知らせ
恒例となりました春の墓参会、午前の部は東京谷中霊園周辺へ。石橋湛山先生、来島恒喜、小野 梓先生を巡ります。午後の部、音羽護国寺の大隈先生の墓所には午後2時頃到着予定。墓参後は稲穂にて懇親会。墓所清掃も行いますので、服装は軽装にてお願いします。なお昼食の予約がありますので、参加申し込みは下記へ、開催1週間前の3月24日までにお願いいたします。
集 合:平成24年3月31日(土)・午前10時30分・JR日暮里駅南口改札 参加費用:2,000円(午前の部花代、線香代、移動交通費、昼食代です) ※集合場所の日暮里駅南口改札は小さな改札です。 北口の大きな改札口ではないのでお間違えの無いようご注意下さい。 参加申込 早稲田大学春秋会事務局 TEL 045-242-3521 FAX 245-241-8768 大石携帯TEL 090-7220-5954
~春秋会では会員の皆様からの自由投稿も歓迎しております~
人生劇場・尾崎士郎(三木一郎顧問より寄稿)
(尾崎士郎・明31愛知県生、昭39.2.19没。早大政治科中退、昭27推薦校友) 大正初期から敗戦直後に至る日本社会の動きを背景に、三州横須賀村から早稲田に進学した青成瓢吉の、学園騒動やお袖の愛など、情感あふれる人生を謳いあげた一大絵巻。それは尾崎が宇野千代と別れてすぐ、昭和8年3月18日から都新聞(現東京新聞)に連載を開始、昭和26年に望郷篇を執筆、実に19年の歳月をかけた国民文学。青春篇・愛欲編・残侠篇・風雲篇・離愁篇(遠征篇)・夢幻篇・望郷篇から成る。後に蕩子篇、昭和36年に星河篇がある。初版は昭和10年3月。川端康成が文芸時評で、全文人生劇場の称賛に終始してから一躍有名となる。この名作「人生劇場」は、明治末年から大正初期にあった、学生の内にまだ残っていた旧日本の、滅びゆく挽歌であり、また、新日本生誕の産みの苦しみを謡ったもので、映画、演劇、放送にもなり、新国劇における「新海一八」の「わが胸の 燃ゆるおもいに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」は特に有名。尾崎士郎は庶民感情の理解者で青成が庶民の代表者であるから愛読された。望郷篇は、敗戦直後の世相を活写し興趣つきず、日本侠客史といってよい。 昭和12年、盧溝橋事件の年、北京へ特派員。13年上海へ従軍作家。16年45歳、マニラへ文化人部隊(石坂洋次郎、火野葦平、今 日出海、三木 清、上田 広、寺下辰夫、柴田賢治郎も)。 三河吉良海岸丘の中腹に尾崎士郎文学碑(昭40.7.16除幕式)。尾崎士郎を偲ぶ「瓢々忌(昭40~58)」「人生劇場の宴(昭59~平6)」。 佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲の「人生劇場」は、早稲田大学第二校歌ともいわれており、校歌「都の西北」とともにいずれも♯(シャープ)が二つかかったニ長調であり、校歌が4/4拍子であるのに対し、人生劇場は3/4拍子である。この硬軟二つの絶妙なコンビネーション、この二つが溶け合ってにじみ出てくる味こそ早稲田の味といわれ、この味を知る者こそ早稲田人なりといわれる。
おまけ~墓参幹事の隠密行動~
ちょいとスペースが余ったので隙間埋めに少々。実現するかは分からないけど、墓参会のネタとして色んな人の墓所を調べ、趣味の散歩がてらちょこちょこ探検に出かけてます。23年11月5日、今回は金沢八景への用事ついでに杉原千畝の墓参に行ってきました。場所は鎌倉霊園。京急の金沢八景駅とJRの鎌倉駅を結ぶバスの途中にあります。正面入り口の「太刀洗門」バス停で下車、霊園内の大通りをまっすぐ行くと間もなく右手に管理事務所。これを過ぎたあたりで右斜面の階段を3段階上ったところにあります。陽当りのよい、シンプルなお墓でした。番地は第29区5号46側。管理事務所に尋ねれば詳しい地図をもらえます(只でした)。管理事務所はレストランも併設されていて食事もできるうえ、霊園内には巡回バスもあり(100円)なかなかよいところでした。 (大石和礼記)
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