ウシガエルの思い出
地元のフリーペーパーに、大山下池に隣接する湿地で、外来生物を駆除したという記事が載っていた。対象はアメリカザリガニやブラックバス、それにウシガエルのオタマジャクシだそうだ。いつもやかましくさえずるヨシキリの声が全く聞こえなかったのは、それで逃げ出したためかもし。 しかし池に巨大なウシガエルがいたのだから、駆除は徹底してはいなかった。いや、完全な駆除がいかにむずかしいかということなのだろう。
ウシガエルで思い出したことがある。小学校1年生のころ、横浜に住む母の知り合いのおばさんの家に泊まりに行った。おばさんが迎えに来て、一人で行ったのだ。磯子の海がまだ埋め立てられる前で、おばさんは坂道を登ったところのアメリカ軍のハイツに住んでいた。たぶんメイドをしていたのだと思う。(おそらく後のひばり御殿とかプリンスホテルのあたりではないだろうか。 部屋の窓の近くに池があり、カエルが跳ねているのが見えた。カエルを友だちに育ったぼくはすぐに飛び出していった。ところが、ヒキガエルほども大きな緑色のそのカエルは、素早くてなかなか捕まらない。ようやく捕まえて、翌日おみやげにして東京に持ち帰った。 それまで見たこともない巨大ですばしこいカエル。ウシガエルを初めて見た思い出だ。アメリカ軍のハイツにいたのだから、アメリカのカエルだと思った。
大人になって家族ができると、夏休みには家族で連れ合いの実家がある酒田で過ごすようになった。線路を渡った新興住宅地の公園には池があった。遊ぶ子どももほとんどイない公園で、池はあれ、アシやガマが茂っていて、ウシガエルの「モー、モー」という声が聞こえていた。 カエルを友だちに育った身としては、子どもたちにも生き物を好きになってもらいたかったので、カエル釣りを思いついた。 釘を曲げて釣り針にし、レジ袋をリボンの形に切って釣り針にしかけ、水糸を釣り糸にして出かけていった。まだ保育園だった息子が、その釣り竿を「ちょうちょ、ちょうちょ、カエルに食われろ」なんてでたらめな歌を歌いながらヒラヒラさせていたら、本当に大きなカエルが食いついた。引き揚げて陸地に放り出すと、針をはずして逃げていく。それを捕まえて、レジ袋に入れ、口をしばって脇に起き、もう一度釣りを試みた。 ふと振り返ると、レジ袋がない。いや、ずっと向こうにあるぞ。近づくとレジ袋が跳ねて逃げていく。中でカエルがジャンプしているのだ。追いかけて取り押さえ、釣りはやめて帰宅。 縁側の大きな水槽に入れておいた。息子が「カエル・ルイス」と名づけた。もちろん当時の陸上短距離のヒーロー、カール・ルイスをもじったのだ。ところがこのカエル・ルイスはとんでもないやつだった。 昼間は完全に昼行灯、水槽の中でじっと動かないのだ。だが、餌として入れておいたカナブンやコガネムシは翌朝には消えている。それだけではない、ルイスくんが来る前から水槽には10匹ほどのアマガエルが入っていたのだが、気がつくとだんだん数が減っていくのだ。気のせいか?いや、ついにアマガエルは全滅した。死んだふりを決め込んでいるルイスくんが、夜中に仲間を丸呑みしているらしいのだ。 今気がついた。ルイスくんは、一度も「モー・モー」とは鳴かなかった。実はルイスくんは雌だったにちがいない。それにしても跳んで逃げるレジ袋、今でも家族の笑える思い出話である。
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